「ドゥイッ(2)」(2019年08月20日) では、duitが英語のdo it!と関係がなく、またジャワ語由来でもないのなら、この言葉の 語源はどうなっているのだろうか?duitという言葉、いやもっと即物的に物事を把握する ほうが良ければ、duitと称するコインはオランダ人がインドネシアにもたらしたものなの である。 16世紀末以来オランダ人がインドネシアにやってくるようになり、そのうちにVOC (オランダ東インド会社)という会社組織でインドネシアの物産を調達するようになった とき、かれらはオランダ本国で行われている通貨システムをそのままインドネシアに持ち 込んできた。その中にかれら自身が名付けたduitコインがあった。 このduitあるいはduitenというコインは17〜18世紀にオランダ本国でドイツ西部地域 との交易に使われたものであり、そのためにドイツを意味するオランダ語の発音から採ら れたものだという解説がインドネシア語記事の中に見られるのだが、それを裏付ける別言 語記事をわたしはまだ見出していない。 当時のオランダでは、1ドゥイッが2ペニッヒの価値を持ち、8ドゥイッが1スタイヴァ ーstuiverに相当し、20スタイヴァーで1フルデンになった。つまり、1 gulden = 20 stuiver = 160 duiten という体系だったわけだ。 一方、インドネシアでオランダ植民地政庁が発足するまでのVOC時代、会社はオランダ 本国の通貨体系を東インド・スリランカ・マラバールなどに持ち込み、当然ながらドゥイ ッ貨も大量に流入させた。VOCがドゥイッコインをもっとも大量に持ち込んだのはジャ ワ島だった。 本国で流通しているドゥイッコインとは見かけの異なるものにするため、会社はVOCと いうロゴの浮彫をコインの片面に施させて、それを海外で使った。交換比率も本国と別に して、1 stuiver = 4 duitenという比率にした。VOCと大きく浮彫されたコインをわれ われは今でも博物館で見ることができる。 言うまでもなくVOCは領土支配など考えておらず、VOCコインの鋳造は東インドの物 産買付に他国が割り込んできて別の通貨で取引しようとする独占破りの闇取引を防止する ことがその最大の目的だったのである。こうして東インドでは1 gulden = 20 stuiver = 80 duiten という通貨体系が用いられた。 ところがVOCが倒産し、オランダ政府が東インドの植民地経営に乗り出すという歴史の 流れの中で、インフレが昂進した結果1 gulden = 30 stuiver、1 stuiver = 120 duiten に交換比率が暴騰した。1833年にスタイヴァー/ドゥイッで構成されていた従来のシ ステムはついに破綻し、1 gulden = 120 centという通貨体系に変更されたのである。こ うしてドゥイッコインは東インドの地上からその姿を消して行ったのだが、名前だけは後 世に残った。さらにその後、1854年に1 guldenは100 centに変えられている。 同じヨーロッパの中で、オランダの貨幣名称をイギリス人は英語で呼び、ドイツ人はドイ ツ語で呼んだ。いずこでも行われている外名呼称行為である。 ちなみに、イギリス人がどう発音しどう表記していたかを下記してみよう。 フルデンGulden = ギルダーGuilder スタイヴァーStuiver/Stuyver = スタイヴァーStiver ドゥイッDuit/Duyt = ドゥイッDoit