「ドゥイッ(3)」(2019年08月21日)

冒頭の与太話の出所はこのあたりに関わっていたのかもしれない。なにしろ、トーマス・
スタンフォード・ラフルズがインドネシアを統治したイギリス時代、イギリス人もオラン
ダ人がしていたように流通コインを鋳造したが、その時代にイギリス人が作ったドゥイッ
コインは片面にEIC、裏面にはDoit Javaと書かれていたのである。EICはEast 
India Companyの頭字語だ。

日本語のドイツという国名はオランダ語に由来している。本来は「ドイツ(人・語)の」
を意味するオランダ語Duitsを日本人はDuitslandの意味で使うようになった。
一方インドネシアでは、ドイツとの交易に使ったコインをオランダ人が「ドゥイッ」と呼
んでいたために、それがインドネシア文化の中まで浸透してインドネシア人にとってのお
金という言葉になってしまった、というのがこのドゥイッにまつわる故事来歴らしい。だ
からドゥイッの謎解きを英語からアプローチしようとする姿勢に無理があったということ
なのである。


長い歴史の中で、インドネシアにはさまざまな外国のコインが流れ込んで来て、そしてイ
ンドネシアの中で流通した。もっと後の時代になってオランダ植民地政庁が流通通貨の統
制を行うようになったものの、東インド植民地通貨システムの中で植民地政庁が発行した
もの以外のコインも一緒になって流通し続けた。

蘭領東インド植民地政庁は、オランダ本国の通貨システムとは異なるコインをインドネシ
アで発行し、流通させた。オランダ語ではNederlands-Indische gulden(蘭領東インドフ
ルデン)と称する。1フルデンは100セン(オランダ語はcent、インドネシア語はsen)
である。

このシステムで作られたコインの詳細は次の通りだ。だがひとびとは一般に、「XXセンコ
イン」と呼ばずに、そのコイン自体に与えられた通称でそれを呼んだ。その習慣は米国人
がニッケルやダイムという言葉で特定のコインを呼ぶのと共通している。

次のリストは蘭領東インドフルデンの[金種(呼称)発行開始年 ー 終了年]を示している。
1 gulden (perak) 1821 - 1840
1/2 gulden ( - ) 1826 - 1834 つまり50セン
1/4 gulden (uang/talen) 1826 - 1945 つまり25セン
1/10 gulden (picis) 1854 - 1945 つまり10セン
1/20 gulden (ketip/kelip) 1854 - 1922 つまり5セン
2 1/2 cent (benggol/gobang) 1856 - 1945 つまり2.5セン
1 cent (sen) 1855 - 1945
1/2 cent (peser) 1856 - 1945 つまり0.5セン
[ 続く ]