「ドゥイッ(4)」(2019年08月22日) ちなみに、日本軍がやってくる前のオランダ植民地時代末期に流通していたコインの一覧 表がある。その時期における各コインの価値は次の通りだ。( )内は通称であり、蘭領 東インドフルデンとの関連性ははっきりしない。少なくとも、蘭領東インドフルデンの8 金種よりはるかに多い金種が流通していたことは、これを見れば明白だろう。 コインの種類がさまざまに混在し、それぞれのコインは名称を持ち、フルデンシステムの 中で独自の価値を与えられていたのである。どこからやってきたコインであるにせよ、大 量に社会で流通しているという現象は、経済が行政統治を超越した力を持った時代が存在 した事実をわれわれに教えてくれる。 250 sen (ringgit) 100 sen (perak) 50 sen (suku) 25 sen (talen) 10 sen (ketip) 5 sen (kelip) 3.5 sen (seteng) 2.5 sen (benggol) 1 sen (sen) 0.85 sen (duwit) 0.5 sen (peser) 0.25 sen (gowang) 上の一覧表にduwitと書かれているduitをKBBIは「昔の銅銭貨のひとつで、120ド ゥイッが1ルピアに相当」と説明している。つまり1ドゥイッseduitとはオランダ時代の インドネシアで6分の5センの価値しかなかったコインだったということだ。 もうひとつ、上のリストを見てuangという言葉が出て来たのにお気付きではあるまいか? インドネシア語ではuangが金銭・お金を意味する代表ボキャブラリーにされたためにduit はその異名・異称のように見られているが、実はuangも出自は似たようなものだったにち がいない。ウアンという25センコイン(実際は三分の一)の名称だったものが、金銭・ お金という語義を包括的に表す名詞になってしまったように見える。 KBBIには、オランダ植民地時代におけるuangはtali/talenの三分の一の金額、つまり およそ8.3センの価値の金額であると定義されている。インドネシア語の常用表現とし てよく登場するsetali tiga uangというのは、1タリが3ウアンだという意味を表してお り、つまり1タリと3ウアンはまったく同じものなのだということを言っている。「失敗 の改善策をいろいろと言い立てて来るが、どれもこれもsetali tiga uangだ。」というよ うな用法でこの熟語は今でも使われている。[ 続く ]