「ルピア(1)」(2019年08月26日)

インドとインドネシアという国名はよく似ているために、その区別が困難なひとがいる。
かれらには、地図上でその二国がどういう位置関係にあるのかということが真っ暗闇なの
だろう。インドの通貨はルピーで、インドネシアの通貨はルピアだ。ルピーとルピアもよ
く似ているから、インドネシアの通貨をルピーと呼ぶ暗闇族が出現するのも無理はあるま
い。

ところが実はなんと、ルピーとルピアは兄弟関係にあったのである。だからインドネシア
に来たインド人がルピーとそれを呼んだところで、それほどたいした間違いにはならない
のだろうが、同じことを日本人がすると見る目がうさん臭くなるように思えてしかたない。


古代インド人は紀元前6世紀に銀貨を作った。サンスクリット語で銀を意味する言葉はル
ピヤカムrupyakamであり、銀貨はルピヤルパrupyarupaだった。ちなみに金貨はスヴェル
ネルパsuvarnarupa、銅貨はタムルルパtamrarupa、鉛貨はシサルパsisarupaとなっている。

英語ではrupeeと書かれてルピーと発音されているインドの通貨だが、rupeeに対応するデ
ーヴァナーガリ表記の発音はルペヤrupayaになっていて、むしろルピアの方に近い。とい
うことは、インド人は本国にいてもインドネシアに来ても、同じようにルピア/ルペアと
発音しているのかもしれない。

古い時代から、インドのルペヤ銀貨はインドネシアでのスパイス貿易のために流入してき
ていたように思われる。もっと後の時代にポルトガル人がインドに基地を設けてインドネ
シアのスパイス貿易に参入するようになってからは、ルペヤ銀貨の流入はもっと組織的な
ものになったはずだ。つまりインドネシア人にとっては、ルピアという言葉は古い時代か
らなじみ深いものだったことが十二分に推測されるのである。

インドネシア人にとって銀貨はルピアなのであり、それをムラユ語に置き換えればペラッ
perakになる。インドネシアでは、ルピアとペラッという言葉が銀貨という物体を介在さ
せて結びつくという図式ができあがっていたのだ。わたしがブタウィ社会で体験したルピ
アとペラッの同義語関係はそこに根差していたと言えるだろう。

東インド植民地通貨システムで作られた1 guldenコインも銀貨であり、それは当然のよう
にペラッと呼ばれた。インドネシア共和国の通貨であるルピアというものがまだ影も形も
ない植民地時代の話の中にルピアという単語が出現することがあるのは、銀貨を指す呼称
であるペラッがサンスクリット語源のルピアを誘導してくるからにちがいあるまい。


インドネシア共和国が自国の公式通貨としてルピアを制定した時期にどのような状況がそ
の地を覆っていたかについて、見ておこうと思う。日本軍がオランダ植民地政庁を追い払
い、大日本帝国政府発行の通貨が導入されたが、結局大日本帝国は瓦解し、共和国が独立
を宣言した。[ 続く ]