「ルピア(3)」(2019年08月28日) 一方、インドネシアから追い払われた蘭領東インド植民地政庁はオーストラリアにいる間 に復活時を想定して1943年に紙幣を作った。これは米国で印刷された。ウィルヘルミ ナ女王の姿を描いた紙幣はNederlandsch-Indieの名前で発行され、連合軍に担がれて戻っ て来たNICAが支配地域の中で使用した。 当然のことながら、それまで流通していた大日本帝国紙幣は連合軍とその関係者に受け取 り禁止が命じられた。インドネシア人はNICA紙幣をuang NICAあるいはuang merahと 呼んだ。ウアンNICAの多くは数字だけが大書されていて、一見すると通貨が何である のかはっきりしない。たとえば500という数字の書かれた紙幣には; VIJFHONDERD Nederlandsch-Indische Gouvernementsgulden Lima Ratoes Roepiah と記されていて、オランダ語では500フルデン、インドネシア語では500ルピアとい うことになっている。 このウアンNICAの金種は次のようになっている。 500 Lima Ratoes Roepiah 100 Seratoes Roepiah 50 Lima Poeloeh Roepiah 25 Doea Poeloeh Lima Roepiah 10 Sepoeloeh Rorpiah 5 Lima Roepiah 2 1/2 Doea Roepiah Limapoeloeh Sen 1 Satoe Roepiah 50 Cent Lima Poeloeh Sen ウアンメラと呼ばれたのは、50セント紙幣が赤で印刷されていたためなのだろうか?他 の紙幣は青や緑や黒などで印刷されており、50センと10ルピアだけが赤色のウアンに なっていた。 インドネシア共和国は、敗戦国日本が大量に流通させた無保証の大日本帝国紙幣とウアン NICAが世の中に出回っている状況を正常化させなければならない立場に追いやられた。 共和国政府がまず公表したのは、どの金銭を政府はオーソライズするかという事柄だった。 1945年10月3日に出された大統領布告で、インドネシア共和国領土ではジャワ銀行 ・蘭領東インド政府・大日本帝国の発行した通貨を有効と認めることを発表している。 [ 続く ]