「ボゴールは歴史的学術都市(前)」(2019年08月28日) 現在のボゴールの町は、ほとんど何もなかった土地にオランダ人が構築したものだ。ジャ ヤカルタの町を滅ぼして更地に変え、オランダ風の町をそこに作り上げたのとは経緯が異 なっている。 オランダ人はボゴールの町を建設するのに、バタヴィアのようなことをする必要がなかっ たのだ。そこにあったスンダの王都パクアンパジャジャランはバンテン王国が滅ぼして更 地に変え、そのまま放置した。オランダ人がそこに新しい町を建設しようとしたころ、そ こにあったのはカンプンバルと呼ばれるスンダ人の小さい寒村だけだったのである。 このあたりの経緯については「南往き街道(3)」(2018年06月11日) http://indojoho.ciao.jp/2018/0611_1.htm をご参照ください。 最初、ファン・イムホフ総督の別荘の庭園として作られたボゴール植物園は、ジャワ島が イギリスに占領されていた時代に英国東インド会社ジャワ副総督となったトーマス・スタ ンフォード・ラフルズ(Thomas Stamford Raffles)が庭園を植物園にするよう命じたこと で、学術センターとしての道を歩むようになる。 植物園として整備されたバイテンゾルフ宮殿の庭園を学術目的に使うことが提案され、蘭 領東インド植民地政庁の農業芸術科学局長の職にあったカスパー・ギオーグ・カール・レ インワルツCaspar Georg Karl Reinwardt教授がその振興に取り組むことになった。 そして1817年5月18日、ファン・デル・カペレン総督がその庭園を公式に ’s Lands Plantentuin te Buitenzorgとして開所したのである。バイテンゾルフ・ナシ ョナルボタニカルガーデンの誕生だった。 ボゴール植物園の内外には、さまざまな分野の調査研究と実験施設が集まっている。決し て植物学だけではない。オランダ植民地政庁はバイテンゾルフを農業・農園・森林・畜産 の諸分野のための学術センターにする方針を立てたのである。 植物に関する調査研究と実験だけでなく、人間と動物の病気と健康に関する調査研究もボ ゴールで始められた。インドネシアにおける脚気・精神病・肺病に関する研究はボゴール で開始されたと言われている。 脚気についての研究は、パナラガンPanaragan通りのボゴール県令公邸敷地内の建物のひ とつで始められた。精神病は1882年に創業したバイテンゾルフ精神病院Krankzinni- gengesticht te Buitenzorgでスタートした。そこは現在のマルズキ・マッディMarzoeki Mahdi病院だ。病院前の通りに名を残したスムル医師Dr. Sumeruはその病院の優秀な医師 のひとりだった。 肺病研究のメッカはいま、チサルアCisaruaのチサルア肺病院になっているのだが、研究 の発端がその病院の誕生と時を同じくしたのか、それともボゴールで始まったのか、情報 が錯綜していてオーセンティックなものが得られない。 動物病院の元祖はスンプルSempurのタマンクンチャナTaman Kencana地区だ。現在のボゴ ール農大科学テクノパークの中になる。その隣には、ゴム・パームヤシ・コーヒーなどの 産業用植物研究施設が連なっている。 スンプルには淡水魚研究センターもある。淡水魚研究が深まったのは、ボゴール植物園内 にあるボゴール動物学博物館Museum Zoologi Bogorがその基盤を与えたからだ。[ 続く ]