「ボゴールは歴史的学術都市(後)」(2019年08月29日)

この動物学博物館は最初からボゴール植物園の付属研究施設として設けられたものだった。
1894年に農業動物学研究所Landbouw Zoologisch Laboratoriumがオランダ人植物学者
コニングスバーハーJ. C. Koningsbergerの提唱で設けられ、1906年に動物学博物館
兼作業場と名を変え、さらに1910年になって動物学博物館兼研究所に昇格している。

わたしがボゴール植物園での散策を頻繁に行っていたころ、ある日動物学博物館を見つけ
て、中に入って見た。そして野獣・昆虫・鳥類・魚類の標本の豊富さに驚いた記憶がある。
傷んだはく製がいくつもあったのは残念だったものの、豆鹿カンチルや巨大な野牛バンテ
ンには圧倒された。

植物園と動物の博物館の取り合わせをわたしそのとき理解できなかったが、オランダ植民
地政庁の立てたバイテンゾルフを学術振興のセンターにするという方針からその現象を見
るなら、何の不思議もない。

動物学博物館兼研究所はその名の通り、淡水魚と海水魚の分野にも研究を広げて行った。
ただしボゴールは海から遠すぎる。北ジャカルタのパサルイカン地区に拠点が置かれて、
水族館が設けられた。いまカンプンアクアリウムKampung Akuariumと呼ばれている場所だ。
つまりパサルイカンの水族館は元々ボゴール植物園に所属する施設だったのである。


ボゴール市内ジュアンダIr Juanda通りの農業図書館から近いところに、石オフィス通り
Jl Kantor Batuという通りがあり、かつてそこに石の調査研究を行う学術機関があったこ
とを推測させる。

土石地質の調査研究がバンドンに移される前、植物に不可欠の土もジュアンダ通りで研究
が開始されたようだ。土質の調査研究成果は、農業土地博物館Museum Tanah dan Pertani-
anで見ることができる。

また実験農園もボゴール県チマングCimangguに設けられた。そこに建てられたコロニアル
風建物が今では農業省の食用作物開発研究センターになっている。研究対象は食用と薬用
の植物だ。ここは昨今アグロ観光を推進しているので、見学するのも容易だろう。


ボゴール植物園内の南に広い庭園があり、そこに塔が建てられている。1830年ごろに
当時のバイテンゾルフ・ナショナルボタニカルガーデン所長だったテイスマンJohannes 
Elias Teijsmannの偉業を讃える記念碑だ。かれが没したのは1882年で、記念碑は1
884年に建てられた。かれは西アフリカからパームヤシを蘭領東インドに持ち込み、パ
ームオイル産業の父となった。かれは他にもフランボヤンの木やシンコン(タピオカ)を
もインドネシアに紹介している。

パームヤシの苗の実験栽培は1848年に開始された。その東南アジアでもっとも古い木
が今でもその場所に残されている。

植物園の外の道路に緑蔭を与えている巨大なクナリの並木も、テイスマンがアンボンから
取り寄せてボゴールの町に植えさせたものだ。[ 完 ]