「ボゴールからの送りもの」(2019年08月30日)

1970年代になってジャカルタの都市開発が急ピッチで進められるようになったころ、
ビル・道路・橋・住宅地などの建設のための石や砂はボゴールから取られた。1973年
には、ボゴールからジャカルタへ運ばれた石や砂は100万トンに達したそうだ。

当時のボゴール県令はボゴール県の自然条件と埋蔵建設資材能力について、毎日1千立米
を送り出しても2百年は持つ、と自信のほどを表明している。ボゴール県西部のダゴDago
山、シダマニSidamani山、サラッSalak山をはじめ2千Haは石と砂の宝庫であり、375
万立米を掘り出すことができるとのことだ。

それら採掘地区における石の価格は立米当たり500〜700ルピア、セメントに混ぜる
砂は350〜400ルピアで、そのころチアンジュル米やロジョレレ米がキロ当たり11
0〜125ルピアだったから、地元民にとっては結構な収入額になっていた。

その時期、ボゴール県からC種採掘許可を得た採掘業者は188社あって、123万平米
が採掘面積だった。ジャカルタで消費される建設資材としての石や砂の供給はボゴール県
が70%を占め、残りはタングラン県スルポンSerpongやラワクチンRawa Kucing、そし
てブカシ県からカラワン県にまで及んでいた。


ボゴール県はこの資材供給で年間3億5千万ルピアの地元収入を得たものの、自然災害が
そのあとを追いかけてきた。1977年に歴史的に水害が一度も起こったことのないジョ
ンゴルJonggol県でチパミンキスCipamingkis川が溢れて大水害が起こった。その年に行わ
れた地勢調査で石砂採掘地域を中心に16,769Haに危険エリアの判定が下された。

年間降水日218日というボゴールの危険エリアは雨水を下流に流す量を激増させたので
ある。

ジャカルタはボゴールから建設資材を送ってもらうだけでは済まなくなった。ジャカルタ
は雨もなく上天気なのに、川がいきなり増水して溢れ、地域一帯を水浸しにすることがあ
る。都民はそれをボゴールからの送りものkiriman dari Bogorと呼ぶ。

ボゴールからの石と砂の送りものは徐々に廃止されていったが、水の送りものは半世紀を
経過してもいまだに続いている。