「2019年版インドネシア人の実像」(2019年09月25日)

ライター: スマランキリスト教大学リーダー心理学教官、サイフル・ロッマン
ソース: 2014年5月3日付けコンパス紙 "Manusia Indonesia 2019"

スナヤンへ行くのに失敗した立候補者が、南スラウェシ州パレパレ県バチュキキ郡バタン
ラッペ町住民に進呈したガスコンロ50台を返してくれと言い出した。
その要請に対して住民の一人は、もらったガスコンロを床にたたきつけてから当局に訴え
た。(2014年4月10日)

その立候補者の選挙運動チームはガスコンロをもらった住民たちの節操のないふるまいを
関係当局に届け出ると言っている。

総選挙がいかに建設的な民族意識の欠如したものになっているかということをその事件は
赤裸々に物語るものだと言えよう。民主化が経済取引として解釈されている。国民がそん
な傾向を帯びるとき、ベーシックな疑問が湧く。5年後のインドネシア人の姿はいったい
どのようなものになっているだろうか?インドネシアの政治倫理はどのようなものになっ
ているのだろうか?

< 信じるものは金 >
30年以上もの間、インドネシア人についての観念はモフタル・ルビスが描いたものに従
ってきた。それによれば、インドネシア人は迷信を信じるがためにオランピンタル(ドゥ
クン・超能力者)が示すシンボルに基づいて行動している。最終段階でインドネシア人は
迷信への信念を手引きにして、インドネシア性コンセプトをプラグマチックに扱う傾向に
依拠して金銭を信頼する方向に向かう。

現場の実態はその大衆プラグマティズムを示している。社会的個性を形成するために発展
中の、少なくとも四つのモデルが存在する。まず第一に、インドネシア人はどんな些細な
ものごとに対しても、可及的速やかに得をすることを求める。蓋然性の一部と考えられる
将来的なリスクは、それが必ず出現するものでないことを理由にして、考慮の対象から外
される。であるがために、それが利益をもたらすがゆえに国民は投票権を売り渡すのであ
る。

その例としては、優先順位7番を持つ北カリマンタン州ヌヌカン県のある政党立候補者が、
マネーポリティクス期に有権者にばらまいた現金の返却を求めたことがあげられる。その
原因はたぶん、有権者がかれに投票しなかったことに反発してのものだったにちがいある
まい。かれがターゲットにした投票所におけるかれの得票数はたったの2票だったのだか
ら。かれは15万ルピアで票を買い取ったと推測されている。その金額はその地における
住民の日給額に関わるものだったようだ。仕事を休んで投票所へ行くことへの代償という
コンセプトが多分それであり、有権者の損得感情に訴求する思考がそこにあるように思わ
れる。日常経済取引におけるキャッシュ&キャリー思考パターンが政治ビヘイビアの一部
と化してしまっている。


第二。インドネシア人は共通の理想目指して苦労することを厭う。だからこそ、総選挙に
おけるもっとも簡便な斟酌は国民にとっての生計の資という餌になる。だから最低5百万
ルピアという文民公務員給与引き上げキャンペーンの動機を推し量ることはむつかしくな
い。そこに起こる問題は、そんな公約を信じるよりも、もっと直接的で確実な資が眼前に
現れたとき、自分がそれをつかまないでどうするか、ということがらになる。


第三。インドネシア人はリスクを考えない。大衆プラグマティズムは社会リスクに直面す
る。この蓋然性は頻繁に起こるものではないにせよ、どこででも起こりうるものなのであ
る。東南スラウェシ州コラカのサビランボ町で三人の住民がコラカ選挙監視事務所を訪れ
た。(2014年4月11日)

ある立候補者がキャンペーン時に配った金を返すよう住民を威嚇したことを三人は訴え出
たのだ。三人は立候補者がかれらを裏切者呼ばわりしたことに激怒した。その金額は5万
ルピア札が1枚であり、投票日の二日前にばらまかれている。

マネーポリティクスがもたらすリスクは往々にして社会的影響を生むことから、その決着
のために政府機関が巻き込まれる。ばらまかれた金額よりはるかに大きい影響が、認識さ
れているか否かにかかわらず、発生するのである。


第四。このプラグマチック精神現象は反生産的社会反応を生む。落選した立候補者は身を
隠し、個人にも社会にも破滅的な結果となって現れる。東ジャワ州タンブラガン県ビウル
ム村チェコチェッ部落の第二投票所でひとりの立候補者が投票箱を強奪した。(2014
年4月9日)

ごまかしがあるとかれらが推測した投票結果に対して、実力行使を行ったのである。その
行為の結果がもたらすリスクの斟酌にあまり頭の働かなかった地方の著名人は感情の命ず
るがままのビヘイビアを繰り広げて、社会秩序を足蹴にしてしまった。

< セラピー >
それらの社会的特徴は容易に変化するものでないため、2019年総選挙の中でわれわれ
がそれらに再会することもありえない話でない。もしもそれが再発するのであれば、社会
は現実と理想を念頭に置いた心理セラピーを必要としている。社会は治療されなければな
らない精神病を病んでいるのである。本当は何が起こっているのかを認識するために、わ
れわれは勇気を持って現実を直視しなければならない。このコンテキストにおいてインド
ネシア人はインドネシアになるための総合的な枠組みにおける役割と機能を認識しなけれ
ばならないのである。

直面する問題とは、民族の使命が質に置かれていることだ。民主化メカニズムが現実の中
で動き始めたとき、政治面における倫理的な諸価値を持たせるための現実的な政治教育を
国民に行うのに政府は失敗した。政府行政の政治システムは、その場その時の利益を追求
する個人によって動かされているために、民族の使命を遂行する点で効果を発揮していな
いのがその原因なのである。