「沈没船を観光資源に(前)」(2019年11月25日)

インドネシアの海にはたくさんの船が沈没している。地元の船はもとより、古くは中国と
ペルシャ・アラブを結ぶ通商路を往き来した航路沿岸諸国の交易船、さらには20世紀前
半に繰り広げられたたくさんの海戦で沈められた軍艦に至るまで、数と種類はきわめて豊
富だ。もちろん、帆船時代の海戦や軍船による商船の略奪沈没なども多々起こっているの
は言うまでもないだろう。

世界的なダイビング観光目的国のひとつであるインドネシアで、ついしばらく前まで最高
の人気を誇っていたダイビングスポットはバリ島カランガスムKarangasem県東部海岸にあ
るトゥランベンTulambenであったというのが諸人の説くところだ。

ダイバーの人気を集めるための要素はいろいろあるようだが、トゥランベンには他所でま
ねのしにくい大きい要因が存在していた。海底に横たわっている沈没船の残骸がそれだ。
インドネシアでこの船は軍艦リバティ号USS Libertyと呼ばれている。

正確には軍用輸送船で最低限の武装しか施されておらず、第一次大戦ではUSSリバティ
として大西洋を渡る物資輸送に従事したが、第二次大戦のときこの船は陸軍の指揮下に置
かれていたため、最終呼称はUSATリバティとなっている。

1941年12月の日米開戦時、リバティ号はオーストラリアとフィリピン間の物資輸送
に従事していた。1942年1月11日、ロンボッLombok海峡南西19キロ地点で日本軍
潜水艦伊166号の魚雷を受けたリバティ号を米国とオランダの駆逐艦が当時の蘭領東イ
ンド小スンダ列島行政区首府で軍事基地が置かれているバリ島北部のシガラジャSingaraja
へ曳航しようとしたが、被害が大きすぎてその航海に耐えないとの判断が下されて、トゥ
ランベン海岸に座礁させることになった。

戦争は終わり、長さ125メートル幅17メートルという巨体をさびれたバリ島の寒村の
海岸に横たえていたリバティ号は、1963年に起こったアグンAgung火山の大噴火が引
き起こした地震のために、海中へと滑り落ちて行ったのである。いまリバティ号は、海岸
から50メートルほど沖合の傾斜した砂地の海底に引っかかって止まっている。全身は海
中にあり、海面からもっとも近いポイントが深度5メートル、最深部は深さ30メートル
とのことだ。

海中ダイビングはそれ自体で楽しいものだろうが、そこに沈没船の残骸がセットになって
いれば、ダイビングにエキゾチックな要素が付加されてくるのは言うまでもあるまい。ト
ゥランベンの地元民にとって、リバティ号は重要な観光資源になったのである。2014
年にはダイビング観光客が一日150人を数え、カランガスム県に年間310億ルピアの
金が落ちた。


県内に沈没船を持っている自治体が同じどぜうに期待をかけるようになるのも無理はある
まい。ちなみにパプアのチュンドラワシCenderawasih国立公園内のダイビングサイトであ
るヌマムランNumamurang海峡には、軍艦ではないが第二次大戦中に墜落した軍用機の残骸
が海底にあり、サンゴや海綿、イソギンチャクなどにびっしりと覆われている。このチュ
ンドラワシ国立公園も、いまやダイビング観光客の人気上昇中だそうだ。

北スラウェシ州はフィリピンのミンダナオ島に近いタラウッTalaud群島の海底に第二次大
戦で沈没したと思われる艦艇と航空機の残骸が見つかったことを教育文化省文化遺産保存
局に届け出ているし、東ジャワ州マドゥラ島スムヌップSumenepの町から南の沖にあるギ
リラジャGiliraja島の近くでも軍艦の残骸と見られるものが見つかっており、ヨグヤカル
タ考古学館が中心になってその沈没艦の正体を調査している。地元自治体の腹の中には、
それらが観光資源になってくれれば・・・という期待があるにちがいない。

ギリラジャ島北西9百メートル、深さ13メートルの海底にある沈没船が話題になったの
は2011年で、弾薬等の危険物があるという噂が広がり、漁民がその近辺での漁を避け
るという社会問題に発展したことから、海軍が爆発物を移して危険のないようにした。そ
の作業が完了してから、マスメディアは海軍の表明として、あの沈没船は軍艦でなくてた
だの農産物運搬船だという話を報道したのである。その奇妙な成り行きの裏側にいったい
何があったのだろうか?本当にそれは軍艦でなかったのだろうか?[ 続く ]