「クンダリ湾に機雷」(2019年11月27日)

バンダ海に面している東南スラウェシ州の州都クンダリKendariは、ティモール島のクパ
ンKupangやマルクの島々の対岸に位置している。オランダ植民地政庁がクンダリの持つ戦
略的な位置に着目したのも当然だった。

オランダ植民地軍はクンダリに優れた飛行場を設け、また海軍基地を作った。蘭領東イン
ド空軍によれば、クンダリ飛行場が全蘭印におけるナンバーワン飛行場だったそうだ。中
には、東南アジアのベストだと言う者もあった。まず、滑走路は広く長く平坦に作られて
いる。格納庫はたっぷりと余裕があり、駐機場は広くて編隊が翼をこすり合わせる心配も
ない。燃料タンク・弾薬庫・バラックのすべてが十二分の広さを持ち、使い心地が良かっ
たそうだ。

日本軍が蘭印作戦を開始したとき、スラウェシ島制圧は1942年1月11日にマナド、
1月24日にクンダリ、2月9日にマカッサルという順序で実施された。

1月23日真夜中にマナドから下ってきた日本軍のクンダリ飛行場制圧部隊がクンダリの
町の北側に上陸して飛行場に向かい、その奇襲に不意を衝かれた蘭印軍は抵抗するいとま
もなく、数時間でクンダリ飛行場は占領された。そのころの連合軍は軍用機不足の状況に
あったため、クンダリ飛行場に常駐している軍用機はなく、ジャワから遠距離出撃するB
−17爆撃機が立ち寄って補給を行う基地に使われていた。そのため、日本軍がクンダリ
飛行場を制圧したとき、故障中のB−17が一機だけ置かれていたとのことだ。

日本軍は占領したクンダリ飛行場を即座に使い始め、30機の戦闘機隊がすぐさま飛び立
って行った。飛行場占領部隊指揮官は飛行場の状態について、「きわめて良好であり、中
距離爆撃機隊がここを基地とすることに何の問題もない」という報告をしている。

24日朝、多数の日本軍艦艇と兵員輸送船がクンダリ湾内に進入するため、接近してきた。
戦闘が行われて、24日夜に蘭印軍が降伏し、クンダリ市街の全域が日本軍に占領された。


2013年2月、東南スラウェシ州知事はクンダリ湾の海底にいまだに残されている機雷
を一つ残らず除去するよう、インドネシア共和国海軍に要請した。クンダリの、ひいては
東南スラウェシ州の経済活動の筆頭拠点がクンダリ港=クンダリ湾であり、そこに大型の
爆発物が転がっているというのは、不安をもたらす以外のなにものでもない。

クンダリ湾の土砂堆積対策として浚渫作業が計画されており、さらに加えてクンダリ湾を
またぐ全長1.3キロの架橋工事さえ中期計画の中にある。機雷があちこちに転がってい
るとなれば、土木作業などできるものではない。

クンダリ湾にどうして機雷が敷設されていたのかというと、日本軍のスラウェシ島進攻を
前にして、東インド植民地軍がそれを阻むべく行ったことなのである。共和国海軍によれ
ば1,136Haのクンダリ湾を調査して機雷の位置と種別を確認しなければならず、機雷
の処理はその次になるとのことだ。4百Kgサイズの機雷が使われた可能性があり、その破
壊力はきわめて大きい、と海軍側はそのときの要請に返答している。

クンダリ湾橋建設工事は2015年末に開始されたから、機雷の排除はそれまでに終わっ
たものと思われる。クンダリ湾橋はほぼ完成が近づいており、稼働開始は2020年2月
に予定されている。このクンダリ湾橋はインドネシアで三番目に長い橋になるそうだ。