「戦争の置き土産がゴロゴロ(後)」(2019年11月29日)

たまたま警官がいたからそれを見せたところ、「おい、そりゃ手りゅう弾だぞ。」と言っ
たから、ズルキフリさんは慌ててそれを人気のない場所に置きに行った。

中部ボゴール署がそれを回収して、ボゴール市内クドゥンハランにある機動旅団本部グガ
ナ班に処理を依頼した。中部ボゴール署長はその手りゅう弾がオランダ東インド植民地軍
の使っていたパイナップル型手りゅう弾であり、数か月前にもボゴール県スカラジャで同
じものが二個発見されている、と物語った。

もっと以前には、同じタイプの手りゅう弾が土中から発見され、それを錫の塊と思った発
見者が金づちで叩いたところ爆発を起こし、隣人を含めて数人が怪我をした事件があった
そうだ。

ボゴールに東インド植民地軍の手りゅう弾がゴロゴロ転がっているのは、終戦後独立イン
ドネシア共和国を崩壊させようとしてNICAが1947年に軍事行動をボゴール地区で
展開したせいだ、と郷土歴史家は述べている。そのとき、NICA軍はスディルマン通り
からルバッパサルなどの住宅地区に向けて攻撃を行っている。

ズルキフリさんのルコの向かいは国軍の陸軍工兵隊教育センターになっており、その中に
PETA博物館があるのは日本軍政期にジャワ防衛義勇軍幹部錬成隊がそこに置かれてい
たためだ。

植民地時代はボゴール宮殿を含むバイテンゾルフの諸行政機関のための防衛軍がそこに駐
屯し、戦後はNICA軍がそこに拠点を置いて共和国独立派に対する軍事行動を行った。
NICA軍はそこを工兵部隊倉庫にもしていた関係で、完全独立後共和国軍がそこを接収
して陸軍工兵隊施設にしたという歴史になっている。


2011年8月にはやはり第二次大戦中に爆撃機から投下された不発爆弾が東ヌサトゥン
ガラ州フローレス島エンデで掘り出された。そのとき、州警察エンデ県警本部の敷地内で
検察官寮の建設工事が行われていた。

掘り下げていた土の下から、建設作業員が大きな鉄の塊を見つけ出した。その物体は長さ
79センチの円筒形で、胴回りが69センチあり、重さは50キロだった。


2015年2月にはロケット式迫撃砲弾が中部ジャワ州マグラン県トゥガレジョ郡ソロユ
ダン村の竹やぶで発見された。

竹やぶの持ち主が竹を切っていたところ、鎌が固いものに打ち当たった。持ち主はシンコ
ンの木だと思ったが、よく見ると金属製で砲弾型をしている。珍しいものを見つけたから
隣人を呼んで観察し、警察に届けようということになった。

県警トゥガレジョ署は爆発物らしいということで、県警本部爆発物処理班の出動をあおぎ、
爆発物処理班はそれを本部に持ち帰って調査した上で処分した。トゥガレジョ署長はその
砲弾について、第二次大戦中に使われたロケット型迫撃砲弾であり、通常は航空機から発
射されるものだ、と述べている。[ 完 ]