「ブリタル反乱(6)」(2019年12月23日)

その場所一帯は整地されて戦争の犠牲となったひとびとの墓地とされ、1946年9月に
オランダ語でイーレフェルド(英語訳Field of Honor)と名付けられて公式にオープンし
た。ジャカルタにはアンチョルの他にメンテンプロMenteng Puloにもイーレフェルドがあ
る。

日本軍憲兵隊が処刑した遺体はアンチョルのあちこちで見つかった。決してその中国寺院
に近い場所でのみ行われていたのではなかったのだ。今やアンチョルのイーレフェルドに
は2千の遺体が埋められているが、アイデンティティの不明な遺体の方が多く、それらは
大きな墓穴に共同で埋めなおされている。

蘭領東インド軍スマトラ島中部地区司令官オーヴァラッカー少将をはじめ、多数のオラン
ダ軍人や民間人、あるいは連合国の軍人・民間人、そして女性から子供までもが、アンチ
ョルで処刑されていたことが判明している。ムラディと他の五人もその中に混じっていた
に違いあるまい。それとも、そこから近い川に遺体が投げ込まれていれば、ワニの餌食に
なったことは疑いない。そうなれば遺体は消滅し、墓も存在しなくなる。

たとえ軍律会議という公式の手続きを踏んで死刑の判決を下したとしても、憲兵隊が処刑
を行ったのであるなら、三年半の間に2千人を処刑した者たちが公式手続きを踏み、銃殺
隊を編成して執行するという儀式手順を本当に踏んだのかどうかの確信が持てなくなる。

アンチョルで発見された2千の遺体のうちの何人が正式な裁判で死刑を宣告されたのか、
そのことからしてわれわれは暗闇の中に投げ出されてしまうのだから。


当時、インドネシア民衆の代表者として日本軍政に協力していたスカルノは、スプリヤデ
ィの反乱計画を事前に知っていた。たまたまブリタルを訪れたスカルノに反乱計画首謀者
たちは会見し、スカルノの意見、というより支援を求めたのだ。

スカルノがブリタルを訪れたのは、当時かれの両親がブリタルに住んでいたからだ。スカ
ルノの父親はラデン・スクミ・ソスロディハルジョで、ラデンという尊称が示す通りのプ
リヤイ階層であり、母親はイダ・アユ・ニョマン・ライで、こちらもバリ島ブレレンBu-
leleng王家の一族に生まれた女性だ。

父親は学校教師で、シガラジャSingarajaの小学校に勤務しているときに母親と知り合い、
結婚した。オランダ植民地政庁文部省の教員だったために、かれはスラバヤ・ジョンバン
・モジョクルト・ブリタルなどあちこちに転勤を命じられている。そのスラバヤ時代にス
カルノが生まれた。父親は1945年5月に、息子の独立宣言を聞く前に71歳の生涯を
ジャカルタで閉じた。

ジョンバン時代のスカルノは病弱だったために父方の祖父に預けられてトゥルンガグンで
暮らした。モジョクルト時代になって一家が共に暮らすことができたが、父親がブリタル
に転勤になると、スカルノは学業のためにスラバヤで下宿生活を始める。両親はその後ブ
リタルに家を持ったため、スカルノにとってはブリタルが実家のある町になったが、ブリ
タルの町自体はかれにとってなじみのある町ではなかったようだ。だが最終的に母親も1
958年9月にブリタルで77歳の生涯を終えた。スカルノ自身も1970年6月に69
歳で波乱の生涯を閉じ、両親の墓があるブリタルに埋葬された。


スカルノがブリタルの実家に戻っていたある日、ブリタル大団の青年将校数人が面会を求
めてきた。それは反乱挙行の一週間前だったそうだ。スプリヤディが懼れる顔もなく、反
乱計画をスカルノに打ち明ける。

だがスカルノの考えは違っていた。インドネシアの独立は日本軍を追い払うだけで実現さ
れるものではない。スカルノの目はもっと遠くを見ていた。今もし全土のペタが一斉に蜂
起すれば、インドネシアの独立構想はご破算になってしまう。そんなことが起こってはな
らない。スカルノは言った。

「もっとよく考えたまえ。そのメリットとデメリットをよく見比べるんだ。君たちは自分
の立場から一面的に物事を見ているだけだ。それではうまく行かない。時期がまだ早すぎ
るのだ。
日本軍の力を見くびってはいけない。君たちの軍事力は計画を成功させるだけの力をまだ
持っていない。まだまだ時期尚早なのだよ。君たちの計画は失敗するだろう。そのときわ
たしにできることは何もない。反乱計画を知っていたかと日本人に聞かれたら、わたしは
白を切る。君たち青年の潔癖な心情と情熱がもたらす美しいものにも、顔をそむけざるを
得ない。そうしなければわたしにも嫌疑がかかり、死刑になるかもしれない。わたしはイ
ンドネシアの本当の独立を実現させることを夢見てきた。わたしにはその実現がもっとも
大切なことなのだ。
だから君たちの計画が失敗したとき、君たちはわたしの弁護を期待できない。君たち自身
でそれを背負うしかないのだ。」[ 続く ]