「ムルタトゥリ博物館(終)」(2020年03月02日)

ムルタトゥリがマックス・ハフェラアルの書の中に著わした思想はインドネシアナショナ
リズムの先駆者たちに多大な影響をもたらした。R.A.カルティ二Kartini、エルネス
ト・ダウス・デッカーErnest Douwes Dekker 別名スティヤブディ・ダヌディルジャ
Setyabudi Danudirdja、チプト・マグンクスモTjipto Mangunkusumo、キ・ハジャル・デ
ワントロKi Hajar Dewantaraたちがそれだ。かれらが行った演説の中には、しばしばマッ
クス・ハフェラアルからの引用が見られた。

スカルノも1930年12月22日にバンドンの法廷で行った冒頭陳述「インドネシアは
告発する」の中でマックス・ハフェラアルを引用した。「ムルタトゥリが強制栽培制度を
数えきれないほどに枝分かれして数百万の毛細血管となり、最終的に数百万人のジャワ人
の胸の中に流れ込んでいるパイプの集まりにたとえたのは決して正確なものではない。そ
のすべては蒸気で動く強力なポンプから吹き込まれる主管につながっているのだ。一方民
間企業では、利潤追求者はだれもがすべてのパイプに直接関わることができ、自分のポン
プ機を使って源泉を汲みつくすことができる。」

スカルノだけでなく、詩人W.S.レンドラRendraもマックス・ハフェラアルからインス
ピレーションを受けた。かれは「ランカスビトゥンのひとびとのための詩」と題する詩を
作っている。かれの詩は、博物館の反植民地主義セクションの展示品の中に掲げられてい
る。


もちろん旧ウェダナ公邸であるムルタトゥリ博物館はランカスビトゥン時代のエドゥアー
ル・ダウス・デッカーと何の関係もない。デッカーが副レシデンとして数カ月暮らした家
は、現在のルバッ県立ドクトル・アジダルモ地方総合病院の敷地内にある。ムルタトゥリ
博物館にある、デッカーの住んだ家に関わる遺物は、オランダのムルタトゥリソサエティ
から贈られたタイルだけだ。灰色がかった黒色のその記念碑的タイルは博物館のガラス張
り陳列台に収められている。

2018年2月11日にオープンしたこの博物館は訪問客で賑わっており、その年2〜5
月の間で累計1万人を記録した。博物館の隣にはサイジャとアディンダ図書館が設けられ
ていて、団体客が要請すればマックス・ハフェラアルの映画を上映してくれるそうだ。

サイジャとアディンダのストーリーはこちらでどうぞ。
http://indojoho.ciao.jp/archives/library05.html

博物館の開館日は火曜日から日曜日で、8時にオープンし、16時に閉館する。アルナル
ン周辺には屋台食堂街が毎日出ているので、飲食の心配はいらない。ランカスビトゥンの
名物はバソイカン(魚すり身団子のスープ)だそうだ。

デッカーの住んだ家を見学したいなら、博物館に申し込めばよい。その家の詳しい歴史を
説明できる博物館のガイドが同行してくれる。デッカーが百日も住まなかったその家とは
副レシデン公邸であり、代々の副レシデンがそこに住んだ。
およそ1千平米の敷地に建てられた、部屋数が21もある豪邸は、今やその一部分だけが
残されている。

ルバッ県立ドクトル・アジダルモ地方総合病院の本館と駐車場の間にあるその建物は老い
さらばえて往時の見る影もないありさまだ。副レシデン公邸として使われなくなった後、
建物はさまざまな用途に使われた。日本軍政期には連合軍の空襲で破壊されたこともある。
1980年代には協同組合事務所に使われ、2000年に入ってから薬局になったりし、
今は病院が倉庫として使っている。[ 完 ]