「東インド植民地警察(1)」(2020年03月10日)

オランダ植民地政庁が警察組織の整備を開始したのは1897年で、1920年までかけ
てモダン警察の構築が行われた。植民地警察は日本軍がやってくる1942年3月まで続
き、日本軍による占領とオランダ人の収容所入りで植民地警察機構は機能しなくなったが、
日本軍政は在来の警察体制を維持しようとしたために、オランダ人が就いていた職にプリ
ブミが取って代わることが多発した。

もともと、オランダ植民地体制の中での警察は、各地方行政区首長であるレシデンが
politierolと呼ばれた警察任務をその担当領域内で遂行するという縦割り方式になってお
り、19世紀終わりまで植民地領土全域を組織的に掌握する形のものは存在しなかった。
だからこそ植民地政庁が20世紀に入る直前にモダン警察の構築を開始したのである。

もちろん植民地政庁は中央政権として全領土内で施行される法律規則を昔から制定してい
たが、その法律遂行と取締りを一元的に全国規模で行う機構が東インドにはなかったとい
うことなのである。


1866年の東インド法律週報Indisch Weekblad van het Rechtを見るとさまざまな法規
が定められている。道路を目的なくうろついてはならない。道路に荷車を好き勝手に置い
てはならない。嘘をつくこと、緑陰下の睡眠、腹痛すら罰をこうむるような内容を目にす
ることができる。罰は籐棒によるむち打ち、強制労働、最長三日間の拘留といったところ
だ。

だからそれ以前は、金持ちが治安上の脅威に備えて自ら保安要員を抱えることが一般的に
行われていた。たとえばスマラン在住のヨーロッパ人が1867年に共同で自分たちの財
産を守ることを目的にして78人のプリブミを用心棒に雇ったようなことだ。用心棒はせ
いぜいトアン一族と私有地の治安を担当する私兵的な存在にすぎなかった。その時代、ジ
ャゴアンjagoanはきっと食うに困らなかっただろう。しかしそんなあり方は追々、地方行
政が設ける警察組織に取って代わられて行った。


現代インドネシア語にポリシティドゥルpolisi tidurという語がある。アメリカのスピー
ドバンプspeed bumpのことだ。かつてぐス・ドゥル大統領は、正直者警官は三人だけいる、
というコメントを公式に発したことがある。ポリシティドゥル、道路脇に置かれて車両運
転者にショック療法を与える警官の等身大の像、そしてかつて国家警察長官を務めたフゲ
ンHoegeng将軍の三人だそうだ。他の人間警官はすべて腐敗行為を当たり前のように行っ
ているという警察批判がそれだった。

インドネシア語のティドゥルは「眠る」と「寝る(横たわる)」の両方の意味を持ってお
り、そのためにポリシティドゥルの語義も、スピード違反がなくなって警官が眠っていて
も仕事になるというものと、盛り上がったバンプをあたかも警官がそこに寝ているように
捉える形容というもののふたつが存在しているようだが、インドネシアの警察は基本的に
スピード違反の取り締まりを行わないという実態を知るなら、前者の解釈はどこかよその
世界の話のように思われる。

このスピードバンプは中南米で、寝そべっている何者かにたとえられて呼ばれるケースが
あるそうで、アルゼンチンではロバの背中だとか、プエルトリコでは横たわっている死骸
などという表現で命名されているらしいから、寝そべっている警官のイメージの方に近い。
最近になって、ポリシティドゥルは英語sleeping policemanの訳語だという話がネット上
をにぎわした。英語ばかりかドイツ語でもschlafenden polizistと言うらしく、おかげで
インドネシア人の諧謔精神への称賛が色あせ気味になっている。[ 続く ]