「東インド植民地警察(2)」(2020年03月11日)

そのポリシティドゥルという語が植民地時代に流行した。言うまでもなく、そんな時代に
路上にスピードバンプを設けることなどありえないから、文字通り眠っている警官という
意味で使われていた。

眠っていても仕事が務まるという意味とは正反対の、仕事しなければならないはずなのに
眠っている、という怠け者への批判だ。村警察は番所でうつらうつらしているばかりで、
盗難があっても泥棒を捕まえに行こうともしない、というのがその批判の指さす標的だっ
た。一生懸命働いて泥棒を捕まえたところで、やたら面倒な手続きでうんざりさせられ、
おまけに職権違反などが問われては何をしていることやらわからない。かれらがポリシテ
ィドゥルになる傾向はその仕組みの中に内包されていたと言えるかもしれない。


司法警察は検察庁長官の監督下に置かれ、都市警察、農業警察、フィールド警察、行政警
察などさまざまな警察が林立した。その伝統は今でも維持されていて、森林分野の役所に
は森林警察Polisi Kehutananがあり、国鉄は鉄道特別警察Polisi Khusus Kereta Apiを擁
し、州県市自治体は行政警察ユニットSatuan Polisi Pamong Prajaを抱えて行政面での違
反者に対する実力措置を行っている。

後のインドネシア共和国国家警察Kepolisian Republik Indonesia略称POLRIという呼称は
国家の国民に対する義務を行使する警察という点を強調した命名だろうとわたしは考えて
いる。


19世紀後半は、それまで確立されていた蘭領東インドの基本的植民地統治コンセプトが
大きく揺さぶられ始めた時代だ。ひとつは自由主義思想による民間資本への経済開放であ
り、そのおかげで最後の四半世紀はヨーロッパ人の東インドへの移住が顕著に進行した。
植民地政庁がかれらのための治安体制確立に腐心しなかったはずがない。

もうひとつは植民地民衆の中に進展した民族主義の興隆だ。それが反乱や騒擾を招いて治
安の乱れを国内外に印象付けることへの防止と、プリブミ層の暮らしを安全平穏なものに
して植民地支配下の原住民に現体制への信頼感を高めさせようという、あたかも二律相反
するような命題が植民地政庁を見舞った。

20世紀に入った途端に倫理政策が開始されて、その国家方針がかえって民族主義を煽る
方向に作用し、政庁がもくろんでいたモダンな国家警察の創造はいっそう難度を高めるこ
とになる。


植民地警察が発足すると、現場警官にプリブミを採用するようになった。種族差別を持ち
込んだわけではないが、気の利く種族と利かない種族、敏な種族と鈍な種族、オランダ人
の意図を巧みに察知する種族とそんな精神作用を示さない種族など、各種族文化が育てた
人間の間に差異が生じる。オランダ人が花丸を付けたのは、アンボン人とマナド人だった。
ファン・ヘウツvan Heutsz第58代総督はアンボン人について、「かれらはわれわれが現
場警官として理想的な姿に彫り上げることのできる最適な材木である。」と評した。

おのずと都市部の現場警官は種族的特徴を示し始める。いやわたしはアンボン人とマナド
人で独占されたと言っているわけではないので、誤解なきように。そんなことをすれば、
プリブミの目に映るオランダ人の行動から公平感が消え失せてしまうから、たとえ嘘でも
そんな結果にするわけがないということだ。

ところが、1890年に武装警官隊gewapende politieを発足させたとき、隊員採用選定
基準は大幅に異なるものになっていた。重武装させるのであれば、それなりに信頼できる
人間を使わなければ不安でしかたないではないか。ましてや住民の反乱蜂起に武器をひっ
さげて立ち向かっていくべき者たちなのだから。結局そこでは種族・宗教・出身などの要
素が選抜規準に持ち込まれた。[ 続く ]