「国家警察の発端は戦闘部隊(2)」(2020年03月24日)

植民地警察の流れで構築された日本軍政下の警察は、基本的に住民末端レベルでの治安や
犯罪捜査、軍政の出した法規の施行などを管掌する役割を担うことに終始したようだ。特
に大東亜戦争推進のために命じられた挙国一致体制を円滑且つ完璧に作り上げ機能させる
ことに手を貸す立場がその基盤とされたように見える。

つまり戦時体制を支えるための経済や生産流通に関する法規の施行も警察の管掌分野にさ
れ、パサルで上限価格を超えて販売した商人を逮捕したり、家庭でのコメ貯蔵禁止令の違
反者を取り締まるためにケイサツが家庭訪問して台所のコメの量を調べたりするようなこ
とまで行った。また、ある地方で生産された物資が無許可で別行政区に移されることが禁
止されており、ケイサツはそのような闇物資流通にも目を光らせていた。


一方で、政治および軍事に関連して日本軍および軍政に脅威をもたらす反動勢力への対応
という国防警察の役割は憲兵隊が担った。警察組織の中でその役割に近い部分を取り扱う
特高警察が日本には設けられていたが、占領地インドネシアでも同様のことが行われたの
かどうかははっきりしない。tokko keisatsuという言葉がインドネシア語文書の中に出て
来るのだが、具体的な説明が一切付随しておらず、詳細が判然としない。憲兵隊は特高警
察と共にインドネシアでその分野の職務を管掌したという表現が見られるため、日本と同
様の態勢がインドネシアにも設けられていたということがそこから想像できるのだが。

ところでインドネシアの民衆に徹底的に怖れられ嫌われたKempeitaiも、インドネシア人
の下働きを持っていたようだ。インドネシア占領日本軍が行政統治を行うにあたって、あ
らゆる分野で原住民の下支えを使ってその業務が行われていたように、憲兵隊もそれなし
には済まないということは原理的に分かっていても、インドネシア語文書のすべてに渡っ
て怨嗟の的として登場する憲兵隊をサポートした原住民の話が一切見つからないため、そ
の不審が晴れないままになっていたが、keimpeihoという言葉が見つかったことで闇中に
一点の光明を見出した気になった。

ケインペイホというのは憲兵補のことだ。陸軍海軍がインドネシアで兵補を徴募し、戦場
に送り込んだのと同じように、憲兵隊でも憲兵補を徴募して下働きをさせたことがその言
葉から推測できる。


ところで、日本が敗戦して連合軍が終戦処理のために進駐してくるまでの間、日本軍に現
状凍結と治安維持の義務が与えられ、その一方で日本軍が設けた現地人の補助軍をすべて
解散させることが命じられたから、インドネシア郷土防衛義勇軍ペタの武器没収と解体が
余儀なくされた。その関連で実にさまざまなことが起こったが、その詳細は拙作
「スラバヤの戦闘」:
http://indojoho.ciao.jp/koreg/hbatosur.html
をご参照ください。
[ 続く ]