「ジャカルタ首都警察(3)」(2020年04月01日) 当時のジャカルタの街中を車で走っても、路上から道路脇一面にゴミを目にすることがな かった。どこも清掃が行き届いており、昨今の屋並みの切れた空き地にゴミの山が作られ ている姿など、あの時代にはどこを探そうが見つけることはできなかった。物価政策にし てもそうだ。下層国民の生活苦を軽減させることが現政権の安泰の根源であることを為政 者は十二分に理解していたということだろう。強権政治が適材適所で使われていたことは、 内容を吟味して行けば見えてくるはずだ。 スハルトレジームを単純に悪と断定して観念的にものを見る事しかできないひとびとにと って、いまだにスマイリングジェネラルが微笑む写真に添えて「どうだ、わしの時代は良 かっただろうが?」というコメントが登場することはきっと不可解千万にちがいあるまい。 人間というものは観念論で割り切ることが不可能なのだという真理を、観念論者はいつに なったらその観念の中に持つことができるのだろうか? 1942年3月5日、日本軍がバタヴィア市域を占領した。東インド植民地政庁が日本軍 に降伏したのは3月9日だ。日本軍政は1942年の法令で地方行政区の変更を行った。 バタヴィア市街はそれまでバタヴィアレシデン区の都市であったのが特別市に変更され、 軍政監の直轄区域とされた。当然ながら、ジャカルタ特別市警察は軍政監の監督を直接受 けることになる。 ジャカルタ特別市警察署はマス・マンガ・スタンドコMas Rangga Sutandoko警視が管掌し、 次の支署分署を統率した。 支署 タンジュンプリオッ Seksi Tanjung Priok グロドッ/プシン Seksi Glodok / Pesing パサルバル Seksi Pasar Baru ジャティバル/カレッ Seksi Jati Baru/karet プラパタン/チュンパカプティ Seksi Prapatan / CempakaPutih メンテン Seksi Menteng ジャティヌガラ Seksi Jatinegara 分署 ブカシ Seksi Polisi Bekasi デポッ Seksi Polisi Depok パサルミング/クラマッジャティ Seksi Polisi Pasar Minggu / KramatJati タングラン Seksi Polisi Tangerang クバヨラン/パルメラ Seksi Polisi Kebayoran / Pal Merah ジャカルタ特別市を除いたジャカルタレシデン区はジャカルタ村son警察署が担当し、サ イッ・チョクロディアッモジョR Said Tjokrodiatmodjo警視が署長に就任した。ジャカル タ村警察署の所轄区域は次の通り。 バララジャ Balaraja チュルッ Curug マウッ Mauk タングラン市外 Tangerang (Luar) ブカシ市外 Bekasi (Luar) クバヨランラマ Kebayoran Lama チカラン Cikarang チカンペッ Cikampek スバン Subang プガデンバル Pegaden Baru パマヌカン Pamanukan スカマンディ Sukamandi スガラヘラン Segala Herang 警視以下、各支署分署の長は全員がプリブミだった。植民地時代とは打って変わった様相 だ。とはいっても、プリブミに絶対主権と自由が与えられたわけでは決してない。プリブ ミ署長たちの業務監査は日本人憲兵が行った。[ 続く ]