「86、ラパンアナム(1)」(2020年04月06日)

どこの国の警察もキャンペーンを行う。ところがインドネシアでは、警察が行うキャンペ
ーンをカンパニェkampanyeと言わない。kampanyeとは言うまでもなくオランダ語campagne
がインドネシア語に取り込まれたもので、オランダ語campagneは英語campaignとほぼ同様
の用い方がなされるのに、インドネシアでは選挙用語としてのkampanyeが突出して印象強
い。もちろん軍隊の組織的作戦行動をkampanyeと呼ぶ使い方もあるにはあるが、軍警察は
もとより、一般大衆もオペレーションoperasiの方を好んで使っている。どうやらその結
果と思われるのだが、警察のキャンペーンはインドネシアでオペラシと呼ばれるのが通例
だ。

だから首都警察が行う路上犯罪撲滅キャンペーンや季節犯罪抑止キャンペーン、あるいは
交通違反粛清キャンペーンなどはすべからくオペラシと名付けられている。Operasi 
Berantas, Operasi Sapu Jagad, Operasi Zebra Jayaなどという勇ましい名称がかつては
一般的だったが、近年はもっと一般庶民に優しいOperasi SimpatikやOperasi Patuhなど
といった名称のキャンペーンが増やされている。


86。インドネシア語でdelapan enamだが、口語的にはLapan Anam。警察活動を主題に取
り上げたドキュメンタリータッチのTV番組のタイトルにすらなったこの数字は、インド
ネシアの一般大衆によく知られた暗号だ。ただし意味を間違って理解しているひともいる
から、注意が必要だ。

インドネシア人が説明しているインドネシア語はすべて正しいという姿勢でのアプローチ
は、正しい真の知識を求める者にとって危険である。日本人ですら日本語の内容を正しく
説明できないひとがいるのは当たり前であり、インドネシア人は違うなどということがあ
りうるはずもない。日本語学習者外国人に日本語の意味を尋ねられて、本質から逸れた一
面的なことがらだけを説明したり、あるいは自分で勝手にひとつの用法が発生するシチュ
エーションを想定して説明をしている日本人が少なからずいるのは事実であり、外国人学
習者に遠回りさせる結果を招いている。インドネシア語を学ぶ日本人学習者にも同じ現象
が起こることは疑う余地がない。

日本人のおまえが言っている内容とは異なることをインドネシア人が言っているのだから、
インドネシア人の言うことの方を自分は信じるという姿勢は、セカンドオピニオンを求め
ないかぎり盲信に陥る可能性がついて回ることを理解するべきだろう。インドネシア語物
知り日本人の中にこの種の人間が散見されるので、インドネシア語初学者はともかく間口
を広げてうわばみのごとく、あらゆる情報を呑み込む努力を続けなければ、正鵠を射る結
果への到達は難しいだろう。インドネシア語物知り氏がインドネシア人の不正確な説明を
鵜呑みにし、検証することなく盲信して、それを後輩に教えようとする傾向についてわた
しは述べている。


86。昔インドネシアで、中でもジャカルタで、自動車を自分で運転する場合に気を付け
なければならないのが交通警官だった。交通違反に気を付けるのでなく、交通警官がいる
かいないかがはるかに大きい重要度を占めていた。インドネシアのカーナビが「どこそこ
に警官がいる」という情報を流すのは、あの時代からの伝統を引きずっているような気が
してならない。

交通警官がいる場合は、絶対にケチの付かないケアフル運転が必要になる。それは大勢の
不良警官が86を狙っているからだ。1970年代半ばごろに、わたしは一度警官の罠に
落とされたことがある。中央ジャカルタ市パサルスネンの北側にある住宅地区のひとつの
道路をいつものように通ったとき、その道路の末端に数人の警官がいてわたしに停車を命
じた。[ 続く ]