「86、ラパンアナム(2)」(2020年04月07日)

「わたしが進入禁止を無視した」とかれらは言う。つい数日前にもわたしはそこを通った
ばかりであり、その道路は対面通行道路だったのだから。警官のひとりが信じないわたし
を連れて道路の入り口へ行き、かれの指さす場所を見て、してやられたと思った。見えに
くい位置にひっそりとフェルボーデンverbodenの標識が置かれていたのである。

交通違反者が出ると、交通警官はティランtilangと呼ばれる交通違反切符を切る。という
のが原則だが、なかなか切らない不良警官もいる。そして違反者が「86でやりましょう
や。」と言い出すのを待つ。いや、みんながみんな86という数字を口にするわけではな
い。誰もが言う言葉はダマイdamaiの方だ。damaiという単語にこのような使い方があるの
だということを、わたしは交通違反現場で学んだ。要するに交通違反を見逃してもらうた
めに贈賄するわけだ。ダマイのために警官に渡す金はuang damaiと呼ばれる。

血気盛んな若い衆が喧嘩を始めると、巷では周りの人間の口からダマイという言葉が発せ
られる。角突き合わせて諍いせず、平和平穏にやろうじゃないか、という意味で「平和」
という言葉が使われているその現象から、わたしの心は劇的なカルチャーショックの感動
に包まれたことを記憶している。日本にいたときの語体験では、「平和」という抽象的観
念はほとんど現実感覚を持たない単なる言葉でしかなかったものが、インドネシアに来て
突然日常性あふれる人間の具体的行為に変化したのだから、そこに生じた落差はなかなか
激しいものだったのである。


ダマイのほかに使われる言葉はtahu sama tahuだ。TSTとも省略されるtahu sama tahu
という熟語はKBBIによれば、(1)双方がそのことを知っている。(2)双方が互いにとっ
てメリットがあることを知っているため、互いに相手の邪魔をしない。という語義になっ
ている。交通違反現場で互いに相手の手の内を知悉し、「蛇の道は蛇」で行こうと心中で
合意し、角突き合わせずにダマイで終わらせようとするこの贈収賄がtahu sama tahuなの
である。違反者は警官に言う。
Sudah nggak usah sungkan-sungkan. Memang kita baru kenal, tapi ya sama-sama 
tahulah, delapan enam aja deh! 


1960年代後半から70年代初め頃にかけて、「プリーPriiit ジゴJigo」という言葉
が交通違反関連で流行した。プリーというのは交通警官が吹き鳴らすホイッスルであり、
ジゴはブタウィ語数字表現で25を表している。ブタウィ語の数字表現については:
「チュペッ、ジャカルタ人の数字呼称」(2017年09月05日)
http://indojoho.ciao.jp/2017/0905_2.htm
をご参照ください。

で「プリー ジゴ」とは何のことかと言うと、「交通警官にピーッとホイッスルを鳴らさ
れたなら、さあ25ルピアが出て行くぞ。」ということを意味している。別の言い方にす
るなら、「交通警官はピーッと一笛鳴らすだけで、25ルピアが手に入る。」ということ
でもある。要は「一笛25ルピア」なのだ。

ピーッとホイッスルが鳴ったなら、本当に違反があったのかどうかは別にして、交通警官
との接触が起こらずには済まないわけだ。交差点で停止線をオーバーしてもピーッ、停止
線をちゃんと守ってもピーッ。近寄って来た交通警官が「さっきあんたはあそこでこのよ
うに車線変更したが、そりゃ違反だ。」と言われて、運転者は面食らうばかり。[ 続く ]