「ジャムゥ(1)」(2020年06月08日)

ライター: GPジャムゥ会長、ジャムゥジャゴ社筆頭監査役、ジャヤ・スプラナ
ソース: 2000年1月1日付けコンパス紙 "Jamu Masa Lalu, Masa Kini, dan Masa 
Depan"

ヌサンタラの島々は地球上で最大の島嶼群である。インドネシアの美しさは「赤道の真珠
の首飾り」という呼び名で世界の隅々にまで知れ渡っている。この母なる地はさまざまな
植物が豊かに生育することを可能にする「平和に繁栄する豊穣の地Gemah Ripah Loh 
Jinawi」という環境に恵まれた。インドネシアはヨーロッパ人植民地主義者が侵入してく
るはるか前から、中国・アラブ・インド商人たちに親しまれたスパイスロード交易路の交
差点に位置していた。

国際交易は文化と知識の交換関係を生む。しかしインドネシアの伝統医薬文化の自立的発
展に外部からもたらされた影響はきわめて小さいように見える。いや、極論するなら、皆
無かもしれない。

中国やインドの伝統医薬が動物性や鉱物性の材料を調合剤の一部に含めているのに比べて、
インドネシアの伝統医薬ははるかに純粋に、薬草の調合に重きを置いてきた。

幅広いバリエーションがもたらすメソッドの形態と性質が多岐にわたっているためにイン
ドネシアの伝統医療は種々の形式を擁している一方で、インドネシアの伝統医薬にはイン
ドネシア固有の一般名称が与えられた。ジャワ語に由来するジャムゥjamuだ。ジャムゥと
いう言葉の本質を完ぺきに定義付けるのはたいへんむつかしい。西洋の伝統医薬品と同じ
概念を当てはめることができないのは、キ・ナルトサブドKi Nartosabdhoのガムラン音楽
作品がベートーヴェンのシンフォニー音楽と同列に並べられないのと同じだ。それらはお
互いに別々の形式と価値の基準を持っているのだから。


ジャムゥはインドネシア文化の独特な一部を形成している。健康増進だけでなく美容や、
ひいては性行為の面を含めて生きることの幸福と美に役立てられるものなのだ。ジャムゥ
は実際面で、葉・花・種・茎・枝・根・芋・地下茎・樹皮など植物のすべての部分を利用
する。ジャムゥに優れた効能を持たせるべく、相互に効果を与え合ったり補完し合うさま
ざまな薬用植物のさまざまな部分が一緒に調合されるのである。人気のあるジャムゥのひ
とつはアダスadasの種とプロサリpulosariの茎を調合したもので、抗けいれんや収斂効果
をもたらす。

9世紀に建造されたと言われているチャンデイボロブドゥルCandi Borobudurの壁画の中
に、生命のシンボルであるバンヤンKalpataruの樹を見出すことができる。その樹の近く
には、粉にしたり調合したりしてジャムゥを作っているひとびとの姿が描かれている。そ
の一群のレリーフの中に、内服にしろ外用にしろジャムゥは定期的継続的に用いるよう勧
める文句に加えて、大人や子供へのジャムゥの用い方の説明も見られる。

ラマヤナ物語を描いたチャンディプランバナンCandi Prambananのレリーフから、そのヒ
ンドゥチャンディが建てられた時代にインドネシア社会は既に薬用植物に目を開いていた
ことがわかる。シンタを奪い返すためにラッウォノに立ち向かうラマの戦いの中で、薬用
植物つまりジャムゥを使うエピソードが少なくとも三回登場する。ひとつは自分の兄ラッ
ウォノに殺されたウィビソノのために、ラタマオサンディの地下茎を使って蘇生を行った
とき。もうひとつは、ラッウォノの息子インドラジッの武器アジナガパサで夜中、睡眠中
に密かに皆殺しにされたラマの軍勢の蘇生にラタマオサンディの強い効能が再度使われた
とき。三つ目は、神通力を持つラッウォノの武器デジャユダの矢がラマの腹を貫通したと
き、その傷を手当てするためにウィビソノが自分の秘薬であるワトゥウルンを浸した水を
使ってその治療を行うという、伝統医療が使われるエピソードの中で。植物性伝統医薬を
用いた伝統医療が活用されなければ、ラマとその一族、そしてかれの軍勢の戦士たちは暴
虐驕慢を打ち倒すことができなかっただろう。

興味深いのは、そのすべてのケースで伝統医薬材料を探し、見つけ、運んできたのがハヌ
マンだったということだ。ハヌマン自身がジャムゥの世界に深く関わっている背景を持っ
ている。ハヌマンは女神アンジャニが産みの母だ。アンジャニ女神は瞑想の行を行ってい
る最中にバタラグルの精液が降りかかっているシモンの葉を呑み込んだために身ごもって
しまった。バタラバユがゲゲを溶かした水でハヌマンを水浴させたことから、ハヌマンの
肉体はよく発育し、俊敏で力強くなった。[ 続く ]