「バタヴィア紀行(1)」(2020年06月17日) 土曜日だ。ヘンドリックとティマースマとわたしの三人で出かけた。最初はこの付近を歩 いて回ってみようということになり、徒歩でほどなくスネンSenenに出た。スネン市場Pasar Senenというのは月曜市という意味だそうだ。この一帯は賑やかで、大勢のひとが往来して いる。 プリブミ兵士は暗い色の軍服、白色スーツのヨーロッパ人男性、地元ブタウィ人の華やか な色使いの衣装、華人は幅広のズボンに辮髪姿。実に多彩なバラエティあふれる光景を目 にすることができる。バタヴィアは多民族多文化に満ちている。 大通りには街路樹が植えられ、通りの片側には黄白色に塗られた美しいヴィラが並んでい て、その豪奢なヴィラの表にはオープンテラスが備えられている。その並びにある背の高 い建物は植民地軍高級将校が住んでいる家だ。道路の反対側は華人の住宅が並んでいて、 その奥には活気あふれる華人カンプンkampungが連なっている。 プリブミ兵士やヨーロッパ人兵士のグループがひっきりなしに往来している。プリブミ兵 士はみんな裸足なのが面白い。オランダからバタヴィアに来るとき乗った蒸気船ネーデル ランド号で働いていたアブドゥラとその部下の水夫たちも全員が裸足だったのを、わたし は思い出した。 プリブミ兵士たちを観察したところでは、若者もいるが勤続30年のベテラン兵士も混じ っているようだ。そういう老練伍長や軍曹などの下士官までもが裸足で歩いている。それ でもヨーロッパ人兵士は下士官に敬礼しなければならない。政府は後になって、プリブミ 兵士に靴を支給した。 ヨーロッパ人兵士の中にも伴侶を連れて散策している者がある。伴侶はプリブミ女性だが、 カップルたちはしっかりした足取りで悠然と歩いている。美人のニャイは見当たらないけ れど、それでもカップルの印象は決して悪くない。ニャイたちは優しく、フレンドリーに 見える。でもそれは怒っていないときだからだろう。怒ったりしたら、・・いやそれはま た今度の話にしよう。 スネンの大通りを蒸気トラムtrem uapが走っている。バタヴィアの下町(コタ旧市街)か らモーレンフリートMolenvliet、レイスウェイクRijswijk、ヴァーテルロー広場Waterloo- pleinを経由してメステルコルネリスMeester Cornelisとの間を往復しているのだ。 路上を通行している乗り物は、それだけではない。今にも崩れて分解してしまいそうなプ リブミの荷車から、さまざまな種類の馬車までもが続々と通りを通過している。一頭の馬 に引かせたオープン二輪馬車はサドsadoと呼ばれる。これは乗客が前と後で背中合わせに 座ることから、フランス語dos-a-dosをプリブミが訛ってサドと呼ぶようになったものだ。 時に兵士や華人のグループがこぼれそうになるくらい大勢でしがみつき、御者が馬を激し く鞭打っている姿を目にすることもある。 われわれは左に曲がって片方が華人商店の並び、反対側は華人食堂の並んでいる道に入っ た。と突然、腹の虫が騒ぎ始めた。よだれが出そうだ。これはヤシ油と豚脂の料理される 香りだろう。おや、きつい香りが混じっている。ああ、これがドリアンだ。われわれは三 人が三人とも、吐きそうになった。 食堂の奥にいた上半身裸の太った華人が笑いながらムラユ語でわれわれに声をかけてきた。 かれが何を言ったのか、われわれの中に分かる者はだれもいない。どうやら、客だと思っ て呼び込んでいるのだろう。ヘンドリックが食べたいと言い出したから、わたしは不安に なった。「食べるのはもっとあとだ。さあ、もっと歩こう。」とわたしはふたりを引っ張 った。 どんどん歩いて行くと、小さい橋にたどり着いた。華人の建物は途切れて、右側にはうら さびれた事務所と倉庫があるばかり。左側にも倉庫があり、そして運動グラウンドがある。 グラウンドでは第十大隊兵員がフェンシングのトレーニングをしていた。倉庫の窓から中 をのぞくと、ヨーロッパ人兵士とプリブミ兵士が体操をしている。[ 続く ]