「バタヴィア紀行(2)」(2020年06月18日)

われわれはどんどん歩き続けて、軍楽隊のブロックにやってきた。楽隊員の住宅地区をフ
ェンスに沿って回ると、ヨーロッパ人や印欧混血の若者たちがサッカーをして遊ぶ広い空
き地がすぐ近くにあった。今そこの草地では軍隊が整列行進の訓練を行っている。ここが
ヴァーテルロー広場だった。広場の中央には石造りの白い円柱があって、その頂上にはみ
っともない犬が・・あ、いや、あれはライオンだったな。これはフランスがワーテルロー
の戦いで敗れたのを記念して建てられたものだ。

広場の東側には美しい小さな建物、東インド最高裁判所、と白塗りの豪壮な宮殿が広場を
睥睨している。ダンデルス総督が建てたこの宮殿はいま、戦争省・教育省・宗教省・工業
省などの政府機関が使っている。そこにはまた、東インド参議会の大会議場もある。一階
には首都防衛軍憲兵隊や狙撃隊の本部も入っている。

宮殿の表にはバタヴィア創設者であるヤン・ピーテルスゾーン・クーンの銅像が建てられ
ている。その銅像はバタヴィア創設250周年を記念して除幕された。わたしが住んでい
るヴェルテフレーデン兵舎がどこにあるのかが、今はっきりと判った。クーンの銅像の裏
だったのだ。


宮殿の横にあるのがコンコルディアConcordia社交クラブ。そこにはたいへん美しく設計
された広い庭園があり、建物とよく調和している。水曜の夕方と土曜の夜には軍楽隊のコ
ンサートが開かれる。アムステルダムからツァーフマンZaagmanを招く必要などないくら
いだ。

最初コンコルディアは将校専用クラブだったが、非軍人も入れるようになった。しかし下
士官以下は入ることができず、かれらは軍人用カンティンのデパイプDe Pijpで遊ぶしか
できない。ヴァーテルロー広場沿いには将校官舎が並んでいる。建物のサイズは大小さま
ざまだ。小さいのは少尉や中尉、大きいのは大尉、もっと広くて見栄えの良いのは佐官級
が使っている。

官舎になっているのは家だけで、家具調度類は本人負担になっているそうだ。ただし官舎
が士官全員に行き渡るわけでもない。必然的に、官舎に外れた者は借家住まいになる。か
れらには家賃が支給されるらしい。家族持ちでない者はホテルやペンション暮らしだ。


ヴァーテルロー広場の片隅で行われているサッカーの試合を、われわれは見物した。プリ
ブミのイレブン同士が対戦している。着ているユニフォームはなかなかのもので、動きも
迅速だ。おまけにかれらは上手にオランダ語を話す。

かれらは医学生だとわれわれの近くで見物していた第十大隊の兵士が教えてくれた。その
兵士はわれわれをデパイプに誘った。もう夕方の5時半で、夜の闇が辺りを包むのもあと
少し。われわれはコンコルディアに向かい、そこを通り越してデパイプに着いた。

中に入って、われわれは驚いた。ネイメーヘンNijmegenのヴァルWaal兵舎にある、狭く汚
らしいカンティンとは大違いだったからだ。オランダのカンティンは兵舎内にあるが、東
インドでは兵舎の外の別の建物になっていて、整理整頓されている、と第十大隊の兵士は
教えてくれた。バタヴィアのような規模の大きい防衛軍の場合は独自の建物の中に読書室
・演劇ホール・ビリヤード室・九柱戯場などが備えられていて、兵士たちの演劇や軍楽隊
のコンサートも行われるそうだ。兵士はカンティンでふざけ合ったり、踊ったりすること
もできるということだが、兵隊用の施設だから女性がいるわけではない。踊るのは男同士
ということになる。時には海軍の水兵が来たり、海運会社の乗組員が来たり、港の貨物運
び人が来ることもある。

書籍の貸し出しから観劇や音楽鑑賞に至るまで、兵士は施設内の利用がすべて無料だ。カ
ンティンで売られている商品は、酒も含めてすべて廉い。酒を扱わないカンティンを別に
設ける計画もあるそうだ。中を見学し終わったわれわれ三人は、案内してくれた兵士を誘
って喉の渇きを癒した。氷の入ったオレンジジュースが一杯わずか5センだった。

中で働いているプリブミのウエイターたちは白い制服に赤いアクセサリーを付けている。
船の中と同様に、ここでもチップを与える必要がない。ここにあるのは、まるでアムステ
ルダムのカフェのような雰囲気だ。それぞれのグループが飲食しながら談笑している。マ
ジョリティを占めるヨーロッパ人兵士たちはバーの近くに陣取り、船員たちは奥の方に座
っている。ネーデルランド号の船員が顔見知りのわれわれに近寄って来た。互いにバタヴ
ィアの情報交換をしていると、案内してくれた兵士がアイデアを出した。日曜日に蒸気ト
ラムでコタへ行き、そのあとサドでコタの中を巡ってはどうか、と。[ 続く ]