「バタヴィア紀行(7)」(2020年06月25日)

グヌンサハリGoenoeng Saharie通りを北上していたトラムはフレイメツェラーヴェフVrij-
metselaarwegに左折した。美しく和やかなこの直線道路には東方の星をシンボルにするフ
リーメーソンのロッジがある。プリブミは悪魔館と呼んでいるそうだ。道路の左側には将
校官舎が並んでいて、一家そろって日曜日の自由な時間をのんびり過ごしているのがよく
見える。

フリーメーソンロッジの十字路で右折すると、右側にはフリーメーソンロッジが設けた図
書館があり、一般公開されていてあまり裕福でないひとびとが大勢利用している。左側は
ヴェルテフレーデン軍人シアターSchouwburg Weltevredenになっている。車掌頭が言うに
は、劇場の中はとても涼しいそうだ。

そこでは、オランダ人のトニールtoneelグループ、イタリア人オペラグループ、イギリス
人オペレッタグループ、有名な音楽団、その他いろいろなグループが舞台芸を見せてくれ
る。建物の中は客席・厩舎・花園・表ベランダ・脇ベランダなどに分けられていて、入場
料金は4.5フローリン、3.5フローリン、2.5フローリン、1.5フローリン、0.
75フローリンと細分されている。トラムはその角地を左に曲がった。


運河沿いの繁華な道路をトラムは西に向かう。さっき左に曲がった場所には運河をまたぐ
大きな橋があって、その向こうはパサルバルPasar Baru商店街だ。商店街の向こうに見え
るのは華人住宅地の並び。建物はみんな似たような中華風のデザインで作られ、特有の雰
囲気が漂っている。中でも特徴的なのは、さまざまな色に塗られた店の正面の華やかさで、
その破風には黄金のインクで秘密の漢字が書き連ねられているとヨーロッパ人は信じてい
る。

それよりも何よりも、華人街の賑やかさはかれらが一日中路上で暮らしていることが生み
出しているに違いあるまい。かれらは路上で飲み食いし、売買し、喧嘩し、散髪している
のだから。

交差点の真ん中を大勢の歩行者が通っている。苦力たちが叫び声をあげ、奥さんと娘さん
が買物し、サドや荷車も人間の隙間を通り抜ける。ここの華人街もパサルスネンと同じだ。
空気がよどんでいる。

曲がった後の運河の向こうはヨーロッパ風の光景に変わった。車掌頭の話では、そこはイ
ンド人やセイロン人、あるいは印欧混血の貧しいヨーロッパ人が住んでいるエリアだそう
だ。左側には郵便電信局があり、続いてサンタウルスラSanta Ursula修道院と続く。東イ
ンドで一番サービスのひどいのが郵便だ、と車掌頭が批評した。そもそも政府自身が郵便
業務を信用しておらず、公文書はすべて書留で発送されている。書留にしなければ、郵便
物が頻繁に姿を消してしまうのだから。新聞など特にそうらしい。届かなくて当たり前と
いう風潮は絶望的と言えよう。郵便物が姿を消しても、犯人が捕まったこともなければ、
責任者が明らかにされたこともない。


トラムはスフールヴェフSchoolweg(今のJl Dr. Sutomo)を通り過ぎてスライスブルフ
Sluisbrug(水門橋)に到着。この辺りの運河の北側は白く塗られた家や商店が並んでい
て南ヨーロッパの雰囲気が濃い。

この水門橋というのは、南から流れて来たチリウン川の水をさっき通って来た北東向けの
パサルバル運河と西向きのレイスウェイク運河に分岐させる地点になっていて、橋の下に
水門が設けられているのである。ごうごうと音を立てて流れるチリウン川の茶色い水はパ
サルバル運河めがけて流れ去って行く。

パサルバル運河は最終的に南往き街道であるグヌンサハリ通り西側の直線運河につながっ
て、海に向かう。レイスウェイク運河のほうは、ハルモニHarmonieでモーレンフリートに
つながり、旧バタヴィア城市の真ん中を通って海に向かう。

複雑なバタヴィアの運河システムは、雨季の洪水への対策という意味も持っている。山に
降る雨は毛細血管のような水流を作って低地に下って来る。それらの小川は岩のごろごろ
した美しい風景を見せてくれるものの、大量の水が都市に押し寄せるのを防いではくれな
い。それらの水が集まって動脈をなし、太い川となったチリウン川の本流支流は普段から
川水が運んでくる土砂や泥が沈殿して容積を小さく狭くしているから、雨季の大量の雨を
流し切れずに氾濫してしまう。

洪水で水浸しになるのはだれもが不愉快だが、そんなことだけでは済まない。水が引いた
あとには汚物が残され、それが数々の病気を蔓延させるのである。[ 続く ]