「バタヴィア紀行(16)」(2020年07月04日)

その群衆の中で、新鮮で赤みがかった頬をしている兵士はわれわれと一緒にヨーロッパか
ら来たばかりの分遣隊兵士であることがすぐに分かる。ノニたちの目にもそう映っている
にちがいない。かの女たちは新来の兵士に関心を注ぎ、優しい微笑みを向けて来る。

軍楽隊の演奏はすばらしい。ヨーロッパで流行っている曲を演奏してくれる。東インドの
専従などと言わずに音楽だけを聴いていれば、ヨーロッパから来たのではないかと思える
くらいの力量だ。

そよ風が吹き、空気がすこしひんやりしてきた。数人の水兵が音楽にあわせて踊り出す。
5時半ごろ、太陽が沈み始めた。軍楽隊は演奏を終えて、移動するために楽器の片付けを
始める。すると兵隊や水兵たちはデパイプに向かって歩き出した。

マンドルに指図されてケッティンヨンヘンが譜面台を片付け、荷車に載せている。兵士が
ひとり、その作業を監督している。印欧混血の青年男女たちの多くはヴァーテルロー広場
の北西にあるローマ教会に向かった。しばらくして六点鐘が鳴り渡った。


アブドゥラとわれわれ三人は広場から北東に向かった。ヴェルテフレーデン軍人シアター
を越えて、道路の向こうにあるパサルバルDe Nieuwe Marktを訪れるのだ。

パサルバルは道路の端から端まで商店が並んでいる。十軒中九軒の店は華人の所有で、残
る一割が日本人やインド人のものだ。コタの華人商店街と同じように、店は道路にそのま
ま面していて、前庭はない。建物はヨーロッパ風と中華風が混在していて、雰囲気はコタ
の華人街とまた異なっている。

この通りにバタヴィアの華人マヨールMayor Cinaが住んでいる。その公的役職名称は華人
コミュニティのリーダーを意味しており、オランダ植民地政庁が与えるもので、その役職
に就くためにかなりの金額を政庁に納めなければならない。

マヨール、カプテンKapten、レッナンLetnanなどという軍隊の階級に似せて用意されてい
る役職は、行政からのいろいろな仕事が要請されることになるのだが、華人はそういう役
職に金を納めてまで就くことを喜んで行っている。おかげて、カプテンやレッナンの役職
者は大勢いる。アラブ人コミュニティにも同様にこの制度がある。政庁側がその役職を与
える条件はもちろん金があることが筆頭だが、人格的に優れていてコミュニティで人望が
あり、コミュニティに対する統率力が備わっていることが重要な条件だ。

レッナンの下には地区長wijkmeesterという役職まであるそうで、華人コミュニティの自
治制度は十分細かいところまで秩序立てられている。

パサルバルの華人マヨールの邸宅は美麗な中華風建築で、表には濃赤色の大きな提灯が二
つ掲げられ、中の玄関テラスはやはり赤い小さめの提灯で飾られている。邸内を見ること
は叶わなかったが、一見した印象は美麗に贅を尽くしたものだった。


パサルバルは朝から夜までいつも賑わっている。サルンとクバヤを着たヨーロッパ人や印
欧混血のニョニャたちが路上を埋め、その間を多数のサドが通行している。
たいへん稀な商品を探しに来ても、たいていどこかの店でそれを見つけることができる。
インド人の店で有名なのはWasiamull Assomull、華人の店で客の多いのはTio Tek Hong、
日本人の店ではやっているのはFirma Nipponkang & Co.。

パサルバルにいる華人はたいていが印華混血の子孫で、新客sin-khekと呼ばれる新来華人
よりもこざっぱりしていて態度に余裕があり、落ち着いているものの、勤勉さの点では負
けている。新客は口喧しいので、かれらが複数集まればその騒々しさは人間わざと思えな
いくらいにうるさいが、混血子孫はそんな喧しさがない。混血子孫の話すムラユ語は響き
の良い言葉に聞こえる。また往々にして、オランダ語や英語も堪能だ。

印華娘たちは黒く光る薄い生地の服を着ているが、下はパンタロンだ。オランダのアジア
物産店によくある黄色い人形に生き写しだ。かの女たちは歩道をだらしなく歩き、喧しい
声でしゃべりまくる。[ 続く ]