「バタヴィア紀行(17)」(2020年07月05日) われわれはまた運河の方にもどり、橋を渡って運河沿いの道を歩いた。道路の向こう側に は郵便電信局がある。その道を水門橋に向かって歩いた。この辺りの、白く塗られた小さ めの家屋の並びを見て、イタリア南部にある町の光景を思い出すひともきっといるはずだ。 ここの住民はヨーロッパ人やインド人で、肌の真っ黒な床屋もいる。われわれは水門橋を 越えて、商店の並びまでやってきた。そう、ここがノードウェイクだ。今朝トラムで通っ たレイスウェイクは道路と運河の向こう側にある。 ここの方がパサルバルより広くて開放感があり、大きく息が吸えて気持ちがいい。この地 区にいるのはたいていヨーロッパ人の男女だ。かれらは高い場所に上がってお互いを眺め 合っている。 日曜日の午後7時から8時半までハルモニ社交場で演奏会が開かれるので、その前と終わ った後の時間帯はひとびとがレイスウェイク通りやノードウェイクの商店に続々とやって きて、たいそうな賑わいを見せる。一方、バタヴィアの他の繁華街は、日曜日の日没後は 火が消えたようなありさまになる。van Stam & WeynsやRikkersあるいはVersteegなどの ポピュラーなカフェやレストランもまばらにしか客が入らない。日曜日の夜はまるで、レ イスウェイクとノードウェイクが全バタヴィアで唯一のナイトスポットになったかのよう な観がある。 週日の夜はもちろん、バタヴィアの各所にある贅沢なカフェやレストランが煌々たる電灯 に照らされて賑わうのだが、ノードウェイクとてそれに負けず劣らずの勢いを見せ、おま けに日曜日の夜には全バタヴィアの客を一手に集めてしまう。 ここにある商店は、商店としての構造で建てられているものばかりでなく、ヴィラが商店 として使われているものもある。贅沢感に差が付くのは否定できない。夜になると、ノー ドウェイクの商店はひとつの例外もなく店開きする。だが午後1時から4時まではどの店 も閉まっている。 路上では、夜だというのに賑やかな往来だ。豪華な個人の馬車、ホテルの馬車、サド、レ ンタル馬車会社Eerste Bataviasche Rijtug Onderneming所有の幌付き馬車はEBROと呼ば れている。そして四輪自動車・二輪自動車・自転車までもが、ノードウェイクとレイスウ ェイクの路上を通行している。 カフェの表では、男女数人のグループがリラックスして話の花を咲かせている。夕方にな るとバタヴィアの女性たちは精一杯着飾り、ヨーロッパで最新流行の香水を振りかけて外 出する。パリ直送の香水は言うまでもなく、とても高価だ。男性は夜も白い軽装の姿が多 い。たいていヨーロッパの夏の服装をしている。 われわれはノードウェイクを西に向かって歩いた。東インド商業銀行Nederlands-Indische Handelsbankとオランダ通商会社ファクトリーFactory Nederlandsch Handelsmaatschappij の前を通ったし、女子寮になっているウルスリンシントマリー修道院Sint Mary Klooster もあった。そしてとうとうノードウェイクの西端までやってきた。右側はホテルヴィッセ、 レイスウェイク側はハルモニ社交場だ。 ハルモニの左側の庭園がひときわライトの明かりで際立っている。建物入り口の脇に置か れた揺り椅子にひとりの男性が座って揺れており、かれの召使いと思われるプリブミが飲 み物をトアンのために運んでいる。 われわれは道路を横切ってプトジョ地区に入った。レイスウェイク通り西側を南に向かっ て歩く。ここの建物はコタと同じように、密集している。右側にフランス人の店があり、 隣には日本製の置物などを販売しているダンロップDunlopがある。その対面でハルモニの 南に隣接している大きい店はOost en Westで、東インドの出来の良い手工物産を販売して いる。 このレイスウェイク通りに比較的新しく観光振興協会ビューローができた。東インドに観 光にやって来るアメリカ人・イギリス人・ドイツ人は数多いが、肝心のオランダ人はあま りやって来ない。この通りは街灯が十分に明るかったが、通りを越えてしまうと、タナア バンに向かう道は木がうっそうとしていてちょっと暗い。この道から右の小路に入って行 くとヨーロッパ人墓地があり、その裏は首都防衛軍の射撃場になっている。[ 続く ]