「バタヴィア紀行(19)」(2020年07月07日)

表にある象の銅像はシャムの王様が1871年にジャワを訪問した際の記念としてオラン
ダ女王に贈ったものだ。その像の左右に大きい大砲が置かれている。もともとバンジャル
マシンBanjarmasinのスルタンがマルタプラMartapuraの王宮に置いていたものだ。

象博物館のすぐ隣はドイツ総領事の公邸で、表門にはドイツの国章が取り付けられている。
東インドにやってきて植民地政庁の仕事に手を貸しているドイツ人はたくさんいる。本来
ならオランダ人が担うべき職務であるにもかかわらず、ドイツ人は勤勉で熱心にそれらの
仕事に精を出している。オランダ人の多くがいまだに、東インドは未開の野蛮国で虎や蛇
がうろついているようなイメージを持ち続けているのだから、ドイツ人もここへ来るまで
は同じような絵を見ていたにちがいあるまい。それを圧してやってくるのだから、かれら
の勇気は見上げたものだ。植民地軍兵員を務めているドイツ人をわたしは何人も知ってい
る。かれらはだいたい月額5百から8百フルデンを支給されているようだ。


コニングスプレイン西通りを南端まで下ると、素朴なアルメニア教会があり、西に向かう
道路ガンスコットGang Scottがある。アルメニア人というのは小アジアに興ったセム族の
ひとつで、ユダヤ人やアラブ人と関係を持ち、宗教はギリシャ正教だ。東インドにはギリ
シャ正教信徒がかなりの人数いて、植民政庁はそれをキリスト教と認め、信徒にはヨーロ
ッパ人待遇を与えている。 

コニングスプレイン南を東行すると、ふたつの建物が注意を引く。ひとつは王立自然科学
協会De Koningklijk Natuurkundige Vereenigingで、この建物にはバタヴィア市議会も入
っている。もうひとつはバタヴィアレシデン公邸だ。

東インドでレシデンは担当行政区域に対して大きい権力を持っている。行政機構はその下
に副レシデンAssistant Residen 、更にその下に監視官Controleurs、そして監視官補
Aspirant Controleursを持ち、担当行政区内の統治を行っている。

レシデン公邸入り口の警備詰所には数人の武装警官がおり、白塗りポールには朝から夜ま
でオランダ国旗がひるがえっている。コニングスプレイン南の東端角には電話会社de 
Intercommunale Telefoon Maatschappijがあり、バタヴィア〜チルボン〜トゥガル〜プカ
ロガン〜スマラン〜スラバヤを結ぶサービスを行っている。

コニングスプレイン東に曲がったあと、われわれは道路の向こう側に女子寮を備えたHB
Sがあるのを見た。そしてしばらく走ると、左側に真っ暗で侘しい鉄道駅があった。

「ついにここまで来たぞ。」とヘンドリックが声を出した。そう、われわれはタンジュン
プリオッ港から列車に乗ってここまで来たのだ。駅の裏側にはバタヴィアバイテンゾルフ
競馬ソサエティBatavia-Buitenzorg Wedloop Societeitの広い馬場がある。大競馬大会は
年二回開催され、たいへんな人出でにぎわう。マラッカ海峡沿いに住んでいるイギリス人
もたくさんやってきて、レースに参加したり、見物したりしている。自分の馬を運び込む
ひとも少なくない。

「教会を見てみろ。」とティマースマも声を出す。駅の対面にあるヴィレムスケルク
Willemskerkだ。そしてその北側に軍司令官官舎の円柱も見える。それらを通り過ぎ、べ
オス〜バイテンゾルフ間鉄道線路も越えて、われわれはコニングスプレイン北に曲がった。
今まで気付かなかったが、コニングスプレインのこの北東角はなんと、直角になっていな
かった。ジグザグになっていたのである。

コニングスプレイン北にレイスウェイクから下って来る道ガンセクレタリGang Secretarie
の対面に、像で飾られた建造物がある。これは自噴井だ。その左には電話局があり、更に
オランダスポーツクラブがある。このコニングスプレイン一周はまるでおとぎの国を巡っ
ているようだった。[ 続く ]