「植民地軍脱走兵事件(1)」(2020年07月10日)

最近、ヴェルテフレーデンとメステルコルネリスの首都防衛軍内で伝染病のように不祥事
が広がっている。脱走病がそれだ。外人兵には多分、元々その種が植えついていたのかも
しれない。特にドイツ人やオーストリア人に姿を消す者が多いのだ。時には、かれらが連
携して姿を消したように見える事件もあった。

数か月後、脱走兵から友人宛に葉書きが届く。葉書きはバタヴィアで投函されているが、
どうやら中国で書かれたものである印象が濃い。内容は、自分は健全な状態であり、既に
目的地に着いて中国の軍隊モダン化のために手を貸しており、高給で素晴らしい待遇を雇
用者は与えてくれている、というようなものだ。そして、貴様も俺と同じように、辮髪の
兵士たちの指揮官になって、贅沢優雅な暮らしをしてみないか、という勧誘の言葉が添え
られている。

最初、軍当局も政庁も、そして軍内部でも、何がどうなっているのかわからないために当
惑の態でこの事件を見ていたがそのうちに、これは植民地軍とオランダ王国を侮辱してい
る行動であるという見解にしぼられて行った。

自分の生活状態を向上させたいという希望はだれにとっても自然なものだが、脱走兵は元
々契約に合意して東インドに来たのであり、オランダ国旗に忠誠を誓ったことを無視して
よいわけがない。かれらはまるで、オランダを中国に売り渡すような行動をしており、こ
れはオランダ側にとって侮辱以外の何ものでもない。契約不履行は犯罪である。この風潮
は撲滅しなければならない。

わたしが兵役中、この外人兵脱走事件は何度も起こった。わたしが知っている脱走した者
の多くはたいていが溌剌とした若者で、普段から身の回りを整え飾ってカッコよく見える
ように気遣う傾向を持っていた。


植民地軍にいる外人兵のほとんどは、勇猛で戦闘能力の高い男たちが普通だ。その好例が
われわれの訓練指導官であるカコウスキー軍曹だろう。かれはポーランド人で古いタイプ
の戦士であり、兵士になるために生まれて来たような人間だった。あたかもナポレオン時
代の荒っぽく闘争好きな、ひげ面で勇壮無比なグロニャールを思い出させるような人物で、
現代的軍隊にはちょっとそぐわない、昔タイプの戦争魂を持つ兵士のひとりだ。

上背は195センチと、まるで巨木のようであり、濃いあごひげが雄々しさをかもし出し、
幅広く分厚い胸にはいくつもの勲章と名誉徽章が並び、軍服は特大サイズだ。かれは自分
のしごとを誠実にこなし、偉ぶらず、献身的に職務に尽くす、真の軍人の一典型であり、
カコウスキー軍曹を敬愛する兵士は決して少なくない。

かれはドイツ、セルビア、フランス外人部隊などを体験し、アチェで人生の最後を飾った。
ポーランド人と言っても、出身地がドイツ領だったから、かれは最初ドイツ軍に入隊した。
5年間の兵役はプロシャのポツダムで防衛連隊擲弾兵として送り、兵士から下士官に上が
って退役した。セルビア=ブルガリア戦争ではセルビア側に加わり、ブルガリア軍を攻撃
した。それはかれが戦闘の場に身を置くことを望んだための行為である。自分の手で敵を
倒すことで自己存在意義を確認する種類の人物だったようだ。

和平が成立すると、かれはフランス外人部隊に入った。アルジェリアでモロッコ人と戦い、
トンキンでは残虐さで知られた華人黒旗部隊と戦い、ダホメイでは黒人王ベハンジンとそ
の女騎馬部隊を相手にし、最後はマダガスカル島で戦争した。その間に伍長から軍曹に昇
進し、最後は曹長になって故郷に帰った。[ 続く ]