「植民地軍脱走兵事件(3)」(2020年07月12日)

ヴィレムスの指揮官はこの話を上にあげて了承をとりつけ、ヴィレムスに諜報資金として
10フルデンを与えた。かれが食事や酒で容疑者ドイツ人兵と渡りをつけるための資金と
しては十分すぎるくらいだ。翌日からヴィレムスは指揮官の官舎の裏で寝起きするように
なった。迅速な報告とそれに対する指示を仰ぐためには、そうするのがベストだろう。


ヴィレムスは行動を開始した。バタヴィアでの暮らしをあれこれ愚痴っていると、ドイツ
人兵が何人か、かれに関心を示すようになった。ここぞとばかり、ヴィレムスはかれらに
ビールをおごった。親密さが増してきたので、ヴィレムスはかれらに脱走を誘い掛けさせ
るよう、腐心しなければならなかった。

とうとうかれらはヴィレムスを脱走に誘った。「われわれはある場所に移る計画をしてい
る。そこに行けば、数カ月後には金モールや飾りのついた軍服を着て華人兵士を指揮する
将校になる。メステルコルネリスでただの兵隊をやってるよりもはるかに良い暮らしがで
きる。給料は月5百フルデンで、豪勢な一軒家が与えられ、そこでは美人の中華娘がすべ
ての世話をやいてくれる。あんたが一緒に行きたければ、ついてきていいぜ。」

ヴィレムスはすぐに賛同を表明した。「決行は金曜日の夜で、ヴァーテルロー広場で落ち
合ってからコタへ行き、中国皇帝がモダン化を進めている軍隊の顧問になっている中国人
の家を訪れる。皇帝の顧問は有能な現場部隊指揮官をリクルートするためにバタヴィアに
来ているのだ。」

かれらと別れたヴィレムスは指揮官に報告するとともに、不安を訴えた。このままかれら
について行けば、自分は脱走兵になり、中国皇帝軍の手伝いをしなければならず、おまけ
に東インド植民地軍に関する情報をかれらに与えなければならない。国家への忠誠心にか
けて、自分はそんなことを絶対にしたくない。

指揮官はヴィレムスを説得した。その中国人のリクルート機関をやり玉にあげるためには、
だれかがそこへ潜入しなければならない。われわれは総力をあげておまえを追跡し、リク
ルート機関の所在を突き止めると同時にそこに踏み込んで全員を逮捕する。おまえが中国
まで渡る必要は全くないのだ。おまえが心配しているようなことにはならないから、この
任務をつつがなく遂行してくれ。


金曜日夜7時、ヴィレムスはヴァーテルロー広場で三人のドイツ人と落ち合うと、かれら
の言うがままにつき従った。軍と警察は既に準備万端整えていて、脱走兵たちがコタへサ
ドで行くのを予想し、ヴィレムスのいる場所に近い辺りに印欧混血の警部を御者に変装さ
せて客待ちサドを装わせ、脱走兵がサドを呼んだ時には必ずそれが使われるように手配し
た。他のサドは少し離れた場所へ行くよう命じられ、呼ばれても近寄るな、と命令された。

また、そこから近い将校官舎数軒にレボルバーで武装した下級将校が隠れ、暗くしてある
官舎の窓からヴィレムスを監視した。脱走兵がサドに乗って動き出したら、将校たちは自
転車でその後を追うことになっていた。一方スタッドハウスプレインでは、警視をはじめ
警部とその指揮下にあるオパスの一隊が、必要があればすぐに出動できる態勢をとってい
た。


脱走兵の乗ったサドはもう半時間も走っている。中華街の狭く曲がりくねった道を通り、
運河を越えて中華街の中を通り抜けようとしているのだ。数人の下級将校は私服で自転車
のペダルを踏み、脱走兵に不審を抱かせないように気を付けながら、一心にその後を追っ
ている。

暗く陰鬱な中華風大邸宅の前で、ドイツ人のひとりが御者に止まるよう命じた。邸宅の表
は閉ざされている。全員がサドから降りた。ヴィレムスは後ろを振り返って見たが、追跡
しているはずの自転車の姿はない。ここから先は自分の力に頼るしかないとかれは腹を決
めたにちがいない。[ 続く ]