「植民地軍脱走兵事件(終)」(2020年07月13日)

追跡してきた将校たちは、ヴィレムスが他の三人とその邸宅の中に入るのを見た。将校の
ひとりはすぐに自転車に飛び乗ると、全速力でスタッドハウスに向かった。警察隊をそこ
へ呼んでくるためだ。

サドは将校たちのいる場所に近寄って止まり、御者は隠してあった警部の制帽とレボルバ
ーを取り出して身に着け、その邸宅に踏み込もうとしている将校たちに加わった。


かれらが建物の表扉をノックすると、扉はすぐに開かれた。中年の辮髪の男が微笑みとお
辞儀でかれらを迎え、丁寧な口調で「何がご入用でしょうか?」と尋ねた。

邸内の人間が示す予想外の落ち着いた振舞いにニセ御者の警部は癇癪玉を破裂させ、拳銃
を手にして叫んだ。「さっき入った兵隊たちはどこにいる?」

辮髪の男は硬直し、驚きと恐怖ですくみあがり、ただ愚鈍な表情を浮かべて立ち尽くし、
やっと聞き取れるような声で「何をおっしゃっているのか分かりません。」と答えた。

将校のひとりがレボルバーを手にして辮髪の男の脇を押し入り、中に入った。他の全員も
同じようにして中に入り、屋敷内を探し始める。ところが、脱走兵とヴィレムの四人は影
も形も見つからない。屋敷内に隠れ場はないか、あるいは外に逃げるための秘密の扉や通
路はないかと探してみたが、結果はゼロだった。

その屋敷に住んでいるのは華人の一家で、男女夫婦と子供が8人、そして使用人が数名い
るだけ。スタッドハウスから警官隊が到着して、再び家探しが行われたものの、既に出て
いる結果に変更をもたらすものは何ひとつ出て来なかった。床の隠し穴、秘密扉、天井裏
の隠し部屋、動く壁、そんな細工はこの屋敷に何ひとつなかったのである。

将校のひとりが警視に提案した。「今すぐに、この周辺一帯の道路をすべて閉鎖してくれ
ないだろうか。脱走兵を網にかけよう。」警視はオパスをすぐその地区全体に散らせた。
その一方で、騎馬隊と歩兵のパトロール部隊に電話し、地区一帯をしらみつぶしに捜査す
るための協力を要請した。

数日かけて一帯のしらみつぶしが進められたが、脱走兵は天に消えたか地に潜ったか、か
れらの姿も、それを示唆するなにものも、見つけることができなかった。一方、アニェル
からチルボンまでの海岸線のパトロールが普段より数層倍の密度で強化されたものの、そ
ちらも成果は上がらなかった。


三人のヨーロッパ人兵士とひとりのオランダ人兵士が姿を消したのである。オランダ人兵
士は勲章が与えられてしかるべき計画とその実行の中で悲惨な最期を遂げたのではないか、
とだれもが想像した。それ以後いくら経っても、その事件を解明するカギは見つからず、
また何が起こったのかを推理できる者も現れなかった。狡猾な中国人が行った、まるで手
品のようなこの事件は、種明かしがなされないまま、永遠の謎として残されたのである。

ただそのうちに、唯一の効果がだれの目にも明らかになってきた。ヴィレムスと三人の脱
走兵事件を最後にして、それ以来脱走兵はひとりも出なくなった。中国のリクルート機関
はバタヴィアからどこかへ去って行ったのだろう。かれらはオランダ植民地軍から29人
の兵士とひとりの犠牲者を手に入れて消えた。

三カ月後、軍本部事務所宛に脱走兵のひとりヴェンプから葉書きが届いた。青色鉛筆で書
かれている内容は、侮辱に満ち満ちていた。

お前たち、大きな馬鹿ロバはどこまで行ってもロバでしかないことが身にしみたか?・・
・(中略)・・・
お前たちの利口なスパイはもうすぐ永遠にしゃべらなくなるだろう。われわれはもうそい
つを動けなくしているのだから。

この葉書きもやはり中国で書かれたもののようで、しかしバタヴィアで投函されていた。
悲しむべきバタヴィアの脱走兵事件は、こうして幕を閉じた。[ 完 ]