「喫茶の愉しみ(後)」(2020年07月17日)

オランダ人が東インド植民地で量産した茶葉も、ヨーロッパへの輸出を当て込んでいたた
めにブラックティ―ばかりになった。国内市場にこぼれ落ちてくるものもブラックティ―
になって当然だ。華人社会ではグリーンティ―が流通していても、華人社会の外側にはブ
ラックティ―があふれていた。

とは言っても、商業作物として輸出用に大量生産された茶やコーヒーが植民地庶民の常用
飲料にならなかったことについて、わたしには植民地支配者の意志が感じられてしかたな
い。価格は決して一般庶民の手の届きにくいところにあるわけでもないのだが、日常生活
の中でそれらを飲む習慣が形成されなかったことは否めないのだ。

インドネシア人茶愛好家のひとりは、トークショーなどのテレビ番組の中で、雰囲気によ
っては茶やコーヒーが置かれておかしくないシーンに、テーブルに置かれているのはミネ
ラルウォーターかシロップ水の入ったワイングラスなのだ、と茶やコーヒーがインドネシ
ア社会の常用飲料の地位に置かれていないことを例証する事実を指摘している。

1970年代半ばのインドネシアでは、テと言えば紅茶が常識だった。華人ワルンで出さ
れるテは、緑茶や紅茶にジャスミンを混ぜたジャスミンティ―が多かった。廉いワルンで
は、煮詰めたテに生水を混ぜて出して来るところもあった。ジャスミンティ―は香りのな
いくず茶葉をカバーするために香りを添えているだけだからおいしくない、と語るインド
ネシア人もあったが、確かにプリブミ社会のどのお宅やオフィスを訪問しても、ジャスミ
ンティーを供された記憶はないから、それがインドネシアの常識だったのだろう。


インドネシアの各地には、茶の飲み方ご当地スタイルというものがある。中部ジャワ州ト
ゥガルTegalで有名なテポチteh pociは、ジャスミンティーが基本になっている。粘土を
焼いた急須と湯呑が使われ、急須に茶葉を入れて熱湯を注ぎ、適量の氷砂糖を入れた湯呑
に急須から茶を注いで飲む。ポチというのは元々その急須を指していたのだが、ポチを使
う茶ということでテポチと呼ばれるようになり、テポチをすることをモチmociと表現する
ようになった。だからトゥガルへ行って地元民にモチをおごろうと言われても、餅を食べ
れるとは思わないほうがよい。

ブタウィBetawi式は、女性が茶を淹れる場合に必ずクバヤを着用することになっているそ
うだ。そして茶とは別にパームシュガーgula arenを皿に置き、まず砂糖を口にしてから
茶を飲む。しかしながら、茶が濃いのかというとそうでもなく、むしろ薄いのが一般的ら
しい。ブタウィ人はこのティ―タイムをグテngeteあるいはニャヒnyahiと呼ぶ。

ソロでは地元産の三種類のジャスミンティ―を各家庭や各ワルンがブレンドしてマイブレ
ンドを作り、楽しんでいる。

ミナンカバウの地、西スマトラ州では、テタッルアteh tahlua(あるいはテタルアッteh 
talua')が有名だ。これはブラックティ―を濃く作り、まだ熱いところに生卵と砂糖もし
くは練乳を混ぜてこってりさせ、さらにスパイスを加えたり、あるいはライムを搾って加
え、生臭さを軽減させるもの。

北スマトラ州メダンで有名なのはミルクティ―。作り方はマレーシアのテタリッteh 
tarik方式で、コップにミルクとティ―を入れ、別のコップに移し入れることを繰り返し、
ミルクティ―が空気と混ざって泡立つようにする。スパイスを加えるインドのマサラチ
ャイmasala chaiの影響を受けたものだという説もある。

北スマトラ州の地方部へ行くと、もっとエキゾチックなものに出会える。タルトゥン
TarutungやバリゲBaligeでは、茶に赤米beras merahが混ぜられる。赤米は薪の火で炒り、
容器にしまっておく。茶を淹れるときに、その赤米が加えられるのである。独特の香り
が立ち昇って、えも言われない至福感が漂う。腹痛に薬効があるという話だ。

他にも、スパイスを混ぜる茶はいくらもある。わたしは緑茶を淹れるとき、ポットにクロ
ーブの花蕾を数個落として飲んでいるが、そこに粒コショウを混ぜても楽しい。決して辛
いものにはならず、コショウの香りが高まって至福の時を過ごせる。実に生きている幸福
というものだろう。[ 完 ]