「香茶はインドネシアのオリジナル(後)」(2020年07月21日)

「毎朝、わたしが起きて学校へ行く支度をしていると、先に起きた母がもう朝ごはんの用
意をして、香茶を淹れてるんです。香茶は夕方とか、夜寝る前にも時々飲んでましたよ。
ソロのわたしの実家では好みの銘柄がNyapuとSintrenとGopekで、それをある割合でブレ
ンドするんです。それぞれの銘柄が持っている濃さ・淹れ出した茶の色・苦み・香なんか
がブレンドすることで最高になるんです。それが我が家の味です。ほんとにパーフェクト
な風味。それを飲むと、子供のころの思い出がよみがえってきたりしますね。

おばあちゃんがよく花の絵の描かれた白いポットで香茶を淹れてました。小さい湯呑にそ
れを注いで、『こっちへおいで。』ってわたしを呼んで。テーブルにはクエスンプロンが
置いてあって、クエを食べながら香茶を飲んでたんです。だから、何かおやつを食べると
きなんか、温かい香茶なしでは何かが欠けている気がして物足りないんです」。バリでお
気に入り銘柄が手に入らないために、リニさんは実家からそれを送ってもらっている。


ヌルマさん36歳も、香茶を飲むと思い出がよみがえって来る、と語る。既に故人となっ
たヨグヤカルタ出身の父親がファナティックな香茶愛好家だったので、やはり父親の思い
出が多いようだ。「父はteh Pendawaが一番のお気に入りでしたね。氷砂糖に熱い茶をか
けて飲むんです。『熱く・甘く・濃い』がおいしい香茶の三条件とよく言ってました」。

ジャワ人は飲食物をたいてい甘くする。レミ・シラド氏によれば、ジャワ・パダン・バタ
ッ・マナド・アンボンのひとびとはたいてい客にテマニス(teh manis)を供するのが常識
だが、スンダ人だけはテマニスを客に出さず、テタワル(teh tawar)を出して来るとのこ
とだ。


タンマス社PT Tang Masはオランダ植民地時代から香茶の製造を手掛けてきた。このファ
ミリー会社のレオナルドゥス・ハンジョヨ取締役社長は、製品多様化でフルーツティ―の
製品ラインを増やしているものの、ジャスミンティ―の不動の座はゆらぎもしない、と語
る。「茶のバラエティが増え、ティ―バッグの簡便性が世の中に浸透していても、香茶の
需要は安定してますよ。消費者は昔ながらの茶の飲み方を続けているんです。きっとそれ
ぞれの家庭の中で代々続けられてきた習慣がそのひとの思い出を形成し、伝統として伝え
られているんでしょう。」

タンマス社はハンジョヨ氏の父親である先代のシスプラモノ、中国名クイ・ペッ・フイが
5人兄弟で立ち上げたフィルマ・ゴペッFa.Gopekを前身にしている。1968年ごろ、か
れはゴペッ社から独立して2Tang, Tjatoet, Jumputなどの銘柄を作り始めた。タンマス社
は今でもそれらの銘柄を作り続けている。

香茶の銘柄Gopekはスマラン・プルウォクルト・マディウン・トゥガルが商圏のメインだ。
2TangやTjatoetはヨグヤカルタを中心に販売されており、Jumputはトゥガルで売れている。
それぞれの地域で住民が好みの銘柄を選び出し、地元風味を作り出している。かれらは自
分の好みの味をよく知っているのだ。


インドネシア茶評議会会長は、香茶はインドネシアのオリジナル種として世界に打ち出せ
るものだ、と語る。「元々は茶農民が産する低品質の茶葉をカバーするために始められた
ものだが、長い年月の間にその愛好者層が社会に形成され、既にゆるぎないものになって
いる。インドネシアで始まった香茶が、今では茶の大生産国である中国でも作られるよう
になっている。全国の茶栽培面積の47%が茶農民の茶畑で、生産される量は国内全生産
の23%を占めている。そのほとんどすべては香茶製造業界が吸収している。」

香茶製造業界が中部ジャワに集中しているのは、中部ジャワで香茶用ジャスミンの農園栽
培が盛んだからだ。全国の茶葉生産センターになっている西ジャワから茶葉が中部ジャワ
に送られ、中部ジャワで作られたジャスミンと混ぜられて香茶が作られるのである。
[ 完 ]