「ヌサンタラのフランス人(4)」(2020年08月13日)

1601年5月18日、フランソワ・ピラル・ドゥ・ラヴァルFrancois Pyrard de Laval
の指揮するコルバンCorbin号とフランソワ・ドゥ・ヴィトゥレFrancois de Vitreが船長
のクロワソンCroissant号がサンマロSaint-Maloを出港した。行く先は東インドだ。

これはサンマロとヴィトゥレの商人と貴顕たちが企画した通商遠征団であり、遠征団の指
揮は町の名士や貴族らが執った。スパイス流通をポルトガル・スペイン・オランダ・イギ
リスのほしいままにさせてなるものか、という気概がサンマロに流れたようだ。


その年12月27日に2隻は喜望峰を目にして陸地に接近した。そこを出た後、1602
年2月4日にマダガスカル島の海岸に至ったが、7日に暴風雨に襲われてコルバン号が姿
を消した。5月23日にコモロ諸島に到着。7月2日、遭難したコルバン号が目に映った。
船は岩礁に乗り上げて動けず、波が甲板を洗っている。人間の姿はなかった。

7月8日、セイロン島を遠望しながら進み、7月14日にニコバル島、そして7月17日
に待望のスマトラの島影が見えて来た。船は、陸地に近い島の脇で投錨する。その島は現
在のアチェ州サバンのあるウエー島Pulau Wehだった。

7月23日に小船が一隻、接近してきたので、クロワソン号も短艇をおろして接触する。
アチェの港の役人が取調べに来たのだ。港にはイギリス船4隻、ベンガルから来たポルト
ガル船1隻、オランダ船1隻が入っている、と言う。「当方の水先案内人はここの港に入
ったことがない」と言うと、「ならばパイロットを連れて来て、入港できるようにしてや
る」と約束した。フランス人は8レアルコインをかれらに与えた。

夜になって、かれらはまたやってきた。パイロットを連れて来たと言うが、だれも船に上
がって来ようとしない。人質を欲しがっているようなので、船中に監禁している犯罪者ふ
たりを役人の船に下ろした。するとやっとパイロットが上がって来た。

夜明けの一時間ほど前にクロワソン号は帆を張って、アチェの港に向かった。夕方6時ご
ろ、船は港内の水深10メートルほどの場所に錨を降ろした。しばらくすると、王の使い
と名乗る男が身元を尋ねるためにやってきた。


7月26日、遠征団長であるサンマロの貴族のラ・バルドリエールla Bardeliereが上陸
して王に面会した。王への贈り物はクリスタル製食器と銀製のポットとプレート。フラン
ス人をはじめて見た王は丁重に客を遇し、どのような航路を取ってここまで来たのかを質
問した。

王はこの客人にアチェの衣装をプレゼントした。木綿の上着に金糸と絹糸で刺繍のほどこ
されたもので、客はその場でそれを着て見せた。王はさらにアチェで使われている黄金の
コインを50個、客にプレゼントした。王はまた、自分の監督下にあるこの地の商品は何
であれ、自由に交易して良いと許可を与えた。団長は象に乗って港に戻って来た。

その日から、水夫の数人が陸上で寝泊まりするようになった。かれらは鶏を買ったり、ア
ラッarakを買って飲んだ。アラッはサトウキビ・米・ヤシを陶器の装置で蒸留して作る飲
み物で、かなり強い酒だった。

7月28日、団長は王の長男である皇太子に招かれた。皇太子への贈り物はクリスタルの
グラスと紅色の布ナプキンで、そのお返しに短剣クリスを頂戴した。クリスには黄金と宝
石で花の絵が象嵌されていた。[ 続く ]