「ヌサンタラのフランス人(5)」(2020年08月14日)

7月29日、王がフランス人遠征団に家を一軒用意してくれた。船から陸に上がりたい者
はだれでも自由にその家を使ってよいとのことだ。それから数日して、船から交易用の積
荷が陸上に下ろされた。

ここに住んでいるトルコ人は普段からコショウを農民から買って、港にやってきた商船に
販売する仲介業を行っている。かれらがフランス人に熱心に売り込みをかけてきた。かれ
らのやり口は、下のコショウを濡らしてその上に乾いたコショウを置き、重さを水増しす
るスタイルであり、フランス人はその手に引っかからなかったから、トルコ人は最終的に
あきらめて、喉から手を出してほしがっているイギリス人に矛先を変えた。フランス人に
対しては、トルコ人は売るのをやめて買う側にまわり、毎日やってきては鏡などの工業製
品を買って行った。

9月17日、オランダ船が2隻入港してきた。1隻は喜望峰で見た船、もう1隻はサンロ
ロンSaint-Laurentで見た船だ。その2隻はセイロンでシナモンと種々の宝石を仕入れて
来ていた。

10月6日、アチェ王の部下である港湾長がやってきて、団長にコショウを売った。10
月18日から数日間、グジャラートGujaratとナガパティナムNagapattinamからの船が何
隻も入港し、木綿布・サトウキビ・インディゴやさまざまな宝石貴石を売りに来た。

10月22日、ペディールPedir王国から象に乗ってポルトガル人が陸路をやって来た。
かれらが海路を避けたのはイギリス船を怖れてのことだ。かれらはコルバン号の乗員25
人が2隻のボートで海上を進んでいるのを見たという情報をもたらしてくれた。

毎日大雨が降り、川が氾濫して道を歩くことができない。外を移動するには、大木をくり
ぬいたカヌアと呼ばれる舟を使わなければどうしようもない。これは毎年同じ時期に同じ
ような現象が起こる年中行事になっていて、だから地元民は高床の家を作って暮らしてい
る。

10月28日、ペディールへ行く許可をもらうために、王に贈り物をした。ペディールは
ここから120キロ離れており、王の息子のひとりがそこを統治している。その統治者が
われわれの団長に黒水牛の肉四分の一頭分とマンゴの果実をたくさん送って来た。黒水牛
の肉は他の肉よりも上等な物とされているようだ。

ペディール訪問団が編成されて、王への表敬訪問を行い、かの地でニ週間ほど滞在して来
るように命じられた。一行はペディール王の歓待を受けて、一緒にアラッを飲んだ。王は
かれらに女が欲しくないかと尋ねたそうだ。王は男色相手を何人も抱えているらしい。歓
待の居心地の良さに呑まれた一行は予定日が来ても帰る気が起こらず、翌日になって嫌々
ながらやっと重い尻を上げた。王は黒水牛一頭、砂糖、さまざまな果実をかれらへの土産
に与えた。この若王はほとんど毎日、山地や森に象や虎を狩りに行くそうだ。


船長はまた、原住民の暮らしの様子を次のように記録している。およそ5カ月間の滞在で
フランス人が実見したスマトラ島北部の原住民はそんな様子をしていたのである。17世
紀はじめのアチェ人の生活を、われわれはそこから垣間見ることができるだろう。
[ 続く ]