「女王陛下のカユアロ茶(2)」(2020年08月18日)

カユアロ茶農園の整地作業が完了したのが1928年で、1929年に種が蒔かれ、19
32年に製茶工場が作られて製品作りが開始された。カユアロ茶農園の茶木の8割はその
ときに植えられたものがいまだに活躍している。Ha当たり5千本という比較的まばらな
植栽ではあるが、枝の広がりは1.5〜2メートルに達する。乾季の収穫は少なくても品
質は優良であり、雨季はたくさん採れるが品質が劣る。海抜1,430メートルの高さに
建てられたカユアロ茶農園の製茶工場も、世界最大の農園が産出する茶葉の加工をこなす
ために、世界最大規模のものになっている。

インドネシア共和国1959年政令第19号でオランダ系農業/農園会社の国有化が定め
られた。1959年にカユアロ茶農園と製茶工場の運営を掌握したのは国有会社第6アネ
カタナマンAneka Tanamanの生産ユニットでその体制は1962年まで継続し、1963
年に北スマトラ第一地区国有農園会社に変わり、1974年8月1日に第8農園会社、そ
して1996年に全国の国有農園会社がヌサンタラ農園会社のシステムに統合されて、西
スマトラ州とジャンビ州の農園は第6ヌサンタラ農園会社の管理下に置かれることになっ
た。


2016年4月、コンパス紙記者はパダンからカユアロ茶農園に向かった。カユアロ茶農
園はジャンビ州クリンチ県カユアロ郡第8ベデン村にある。同じジャンビ州の州都、ジャ
ンビ市からは452キロを10時間かけてのドライブになるが、隣州のパダンからだと6
時間で着ける。おまけに途中には観光スポットの双子湖があって、さまざまな景観を楽し
みながらの旅を愉しめる。

記者はやっとカユアロ茶農園に到着した。ここには、製茶工場だけでなくオランダ時代の
さまざまな建物や施設が残されている。管理人邸、職員宿舎、クラブハウス、そして病院
まで完備されている。クラブハウスは今、多目的施設として使用されている。植民地時代
のオランダ人は、都会から隔絶されたこの大自然の真っただ中で少しでも人間らしい暮ら
しをするために、さまざまな施設を用意していたのだ。

記者は、オランダ人の経営下に営まれていたカユアロ茶農園の生活を実体験している老人
にインタビューした。東ジャワ州ジョンバンJombang出身のスマルディさんは90歳を超
えているそうだが、はっきりした年齢を知らないと言う。老人は農園からほど近いスガイ
アサム村で子や孫やひ孫たちに囲まれて暮らしている。

かれは1950年代にカユアロにやってきた。当時少年から青年への移り目の時期にあっ
たかれは最初、茶木の成育を邪魔する植物を取り除く除草の仕事から入った。大勢の作業
者と一緒にバラックで暮らし、月給は10ルピアだった。そのうちに昇給して25ルピア
になった。[ 続く ]