「女王陛下のカユアロ茶(終)」(2020年08月21日)

オランダ植民地時代のまま、カユアロ茶は今でもオーソドックス製法で年間6百万kgが
生産されている。工場での生産量は一日22〜25トン。一級品になるのはおよそ58%、
二級品が32%で、三級品は10%だそうだ。工場での加工を終えた茶葉の賞味期間は二
年間になっている。

商品としてパッケージされたオランダ時代そのままのKajoe Aroブランド紅茶はインドネ
シア国内でまずお目にかかることができない。ほぼ全数が西欧・東欧・ロシア・中東に輸
出されているから、インドネシア国民消費者の間の知名度は極めて低い。もちろんKajoe 
Aroブランドの商品に使われる茶葉はほんの一部であり、大部分は国内外の下流産業であ
るブレンド紅茶メーカーや茶飲料製造メーカーに流れて、別の茶葉と混ぜられることにな
る。Teh Botol・Teh Sosro・Sari Wangiなどの商品にはカユアロ茶が混ぜられているとい
う話だ。

生産された年間6百万Kgの茶葉のうちの5百万Kgは、国外に輸出されている。国内で
消費されるのは1百万Kgであり、そのほとんどが下流産業でブレンドされている。

茶葉はジャカルタで開かれる市場でオークションにかけられ、それを仕入れた輸出業者は
50キロ入り袋にバルク詰めされたものを輸出し、国内流通業者も同じものを国内下流産
業に流しているという構図になっている。メダンのブラワンBelawan港から輸出されるも
の以外は237キロ離れたトゥルッバユル港経由でジャカルタに送られ、オークションの
あとタンジュンプリオッTg Priok港から輸出されるのである。


オランダ時代のオランダ人管理人の親類縁者や遺族らが、ときどきカユアロ農園にやって
きている。だがそればかりか、観光旅行客も農園に団体でやってくる。中高大学の生徒学
生が団体で、見学と観光を兼ねてやってくるし、オランダ・米国・フランス・イギリス・
ドイツ・日本から団体ツアーが来たこともある。

県庁も州庁も、カユアロ農園を地元観光資産に位置付けているのだ。農園の中にはさまざ
まな樹種の年経た巨木が集められている5Haのペコの香り観光園Taman Wisata Aroma 
Peccoが作られている。中央に大きな池のあるペコの香り自然公園は、クリンチ山を取り
囲むニ州の住民にとって、休日の行楽スポットになっている。

カユアロ茶農園側もアグロ観光の態勢を取り、茶畑内でのティウオークや工場見学、茶摘
みから紅茶ができるまでの流れの学習といった諸プログラムを用意して、市民に開かれた
カユアロ農園の姿を示している。


だがカユアロ茶農園も茶葉の国際価格低迷と無縁ではいられない。諸外国が行っているシ
ングルオリジンティ方針を取って来なかったヌサンタラの製茶業界は、その悪影響をもろ
に蒙っている。カユアロも同じだ。カユアロブランドのパッケージングで販売されている
ものは総生産量中の微々たるものでしかなく、マジョリティはブレンド用茶葉としてバル
ク梱包されて売られるのだから、消費者からの声がかからないのは当然のことになる。

労働集約型の茶葉産業は、単位面積当たりのコストが大きい。3千Haの茶農園事業に3
千人を超える人手をかけているのに比べたら、パームヤシ農園事業は3千5百Haをわず
か4百人で切り盛りできているのだ。第6ヌサンタラ農園会社経営陣が頭を痛めている点
がそこにある。

既に3千Ha中の1千Haでコーヒーへの作物転換方針が定められており、植え替えは進
行している。だが転換がそれで終わるのか、それともさらに深まって行くのかは、時間が
経過しなければ分からない。第6ヌサンタラ農園会社経営陣は、カユアロ茶の生産は何が
あろうが絶対に続けるとの意志を表明しているのだが、その量がどこまで行って下げ止ま
りになるのかは予断を許さないところだ。本物の紅茶と評価されているものがこの世から
消滅してしまっては、後世に禍根を残すのは間違いないところである。[ 完 ]