「ペスト(2)」(2020年08月27日)

書物の内容は病気に関する説明から始まり、それがどのように伝染拡大していくかのメカ
ニズムに触れ、それを防ぐにはどうするべきか、といったことが述べられている。

その解説によれば、ペストというのはペストに罹患した人間の血液や、ネズミに寄生して
いるペスト菌を持ったノミのために伝染発病するものである。ペストを持ったノミは人間
を噛み、噛んだ時にペスト菌が健康者の体内に侵入する。ジャワ島を襲った伝染性ペスト
は腺ペストであり、初期症状は発熱、頭痛、そして腋の下や耳の後ろあるいは股間に痛み
のある腫れが起こる。この病気は二三日で患者に死をもたらす。

この病気の蔓延を防ぐには、ペスト菌が広がらないようにしなければならない。まず最初
に行わなければならないのは、住居の改善である。不潔な住居はネズミやネズミノミが好
む場所であるからだ。住居はくっつけて建ててはならない。ましてや、ある区画の土地に
複数の住居がくっつきあって建てられるようなことはきわめて危険である。

1910年代のジャワにおけるプリブミ住居は竹作りや竹編みの壁が普通だった。竹編み
壁は二重にする家が多かったから、その間に空間ができてネズミの巣になるのが必然的帰
結になっていた。

啓蒙書はその壁について二重壁の構造にしないように警告し、どうしても二重壁にするの
なら、内側の壁は取り外しできるようにして壁と壁の隙間がいつでも掃除できるようにせ
よ、と勧めている。

もうひとつのアドバイスは、モルモットを飼うことだ。モルモットはネズミノミに弱いた
め、ペスト菌に襲われたらモルモットは簡単に死ぬ。飼っているモルモットが死ぬ現象が
見られたら、その家はペスト菌に襲われたわけだから、人間はすぐにその周辺エリアから
離れて、そこに近寄らないようにしなければならない。


植民地政庁のそれらの努力が植民地支配者の善意や善政を示していると考えるのはあまり
にも単純な物の見方だ、とコンパス紙は語る。ジャワが疫病禍に襲われたのは、植民地政
庁が行って来た搾取の帰結なのだというのがその見解なのである。

ファン・デン・ボシュVan den Boschの栽培制度は自給自足原理で生きてきたジャワの農
民から従来の慣習的農業活動の機会を奪った。農民は国有農地の世話をし、あるいはサト
ウキビ・タバコ・藍・茶・絹・綿など輸出用商品作物の栽培を強いられたために、食糧生
産のための時間とエネルギーの余力がなくなってしまった。十分な収穫が得られなくなり、
あるいは制度を嫌う農民が故郷から逃げ出した。一村まるごと逃散したところもあった。
ジャワ島の食糧生産が大幅に低下して、飢餓に襲われる地方もあちこちに出現した。

1870年に栽培制度は廃止されたものの、状況の回復は遅々として進まなかった。その
貧困状態が地方部の生活をスラム化させ、庶民は劣悪な衛生状態の下での貧困生活が常態
になってしまう。狭いゴミゴミした居住地区の、日光の差し込まない家屋の中での生活が、
ネズミに優しい環境を用意した。

マルコ・カルトディクロモは1914年1月31日付けのジャーナル「ドゥニアブルグラ
ッDoenia Bergerak」にこう書いている。
下層庶民のほとんどは一日一食の生活であり、少し金のある者はまだ飯を食べることがで
きたが、そうでない者はキャッサバやトウモロコシしか食べられない。魚(おかず)は想
像することさえ困難で、塩とトウガラシで満足しなければならなかった。
衣服については、二着三着と持っている村人は稀であり、頭布・上着・サルンをひとつず
つという者が大半だった。それほどまでに貧困なかれらに、疫病を防ぐために住居の改善
をするなどということができるはずがない。


プリブミ新聞は植民地政庁が末端庶民に過酷な規則をいくつも定めたことを報告している。
シナールヒンディア1918年5月18日号は、ペスト罹患者を出した家屋の多くは柱一
本残さず取り壊されたが、建て直すための弁償金は一銭も下りなかったことを記事にした。

ソロで発行されていたダルモコンドDarmokondoには、ペスト罹患者を出して家を取り壊さ
れた者は政府の住宅改善機関から建て直すための資金融資が受けられるが、返済に失敗す
ればその身を苛む懲罰が与えられると書かれている。[ 続く ]