「ratusan, ribuan, ...」(2020年09月01日) インドネシア語の新聞やネット記事を読むと、次のような文が頻繁に登場する。 ⇒ Hujan deras mengakibatkan ratusan rumah terendam banjir. ⇒ ... sedikitnya 78 orang tewas dan ribuan cedera dalam ledakan hebat ... 上のratusanやribuanが示している数量を、読者はどのように把握するだろうか? 辞書を見ると: ratusan: 百の単位、数百 ribuan: 千の単位、数千 となっている。これはKBBIに示されている: ratusan: bilangan ratus, beratus-ratus ribuan: bilangan ribu, beribu-ribu という語義をそのまま取り上げたものと思われる。 日本語の語義を検討してみよう。 百の単位、千の単位、というのはたとえば: 123,456,789. というひとつの数値を例にとるなら、その[7]の位置が百の単位であり、[6]の位置が千 の単位ということを意味している。この意味を頭書の文に適用しても、具体的な数値のイ メージは全然湧いてこない。 ならば数百、数千かと言うと、日本語辞典には 数百: 三百〜四百、または五百〜六百のかずをばくぜんという語 数千: 三千〜四千、または五千〜六千のかずをばくぜんという語 という語義が記されているので、百の単位の中ほどの数値、千の単位の中ほどの数値とい うイメージになる。 このような検討の結果、頭書の文は4〜5百軒の家が浸水し、4〜5千人が怪我をしたと いうイメージに向かうのだが、本当にそれは正しいのだろうか? ratusan, ribuan, ... という言葉の内容が、翻訳を行うわたしにとっては昔からの謎だ った。というのは、文脈から見て百の単位の中ほどの数量にはとても及びそうにない、百 をほんのわずか超えたくらいの数量でさえratusanが使われている例にしばしば遭遇して いたからだ。 そんな場合にわたしなら、seratusanを使うだろう。インドネシア語には1百台の数字、 2百台の数字というように、不定ではあっても範囲をもっと細かく仕切る表現があること は読者もきっとご存知にちがいあるまい。 seratusan 100〜199 dua ratusan 200〜299 tiga ratusan 300〜399 .... .... で、あるとき思い立って、この疑問を尋ねてみた。そこで得られた回答が下にある。 https://hinative.com/ja/questions/15944491 ratusan というのは三桁の数字のすべて、つまり100〜999 ribuan というのは四桁の数字のすべて、つまり1000〜9999 を示す言葉であるというのが答えだった。 これすなわち、「百の単位」でなくて「三桁の数字」であり、「千の単位」でなくて「四 桁の数字」がそれらの正確な語義になる。もちろん「百の単位」「千の単位」を言う場合 にもratusan, ribuanは使われるのだから、間違っていると言っているのでないことをお 断りしておこう。ただ少々、語義に不足があるということなのだ。 この語義を頭書の文に適用したとき、あまりにも幅広い範囲を大雑把に表現するこの手法 にわれわれは当惑してしまうのである。つまりこの表現は数量のある部分に焦点を当てる ためのものでなく、二桁を上回って三桁に達する数量、三桁を上回って四桁に達している 状況といった、上向きの方向性を読者に持たせることを目的にした表現ではないかという 解釈をわたしはした。 この語義を頭書の文に適用して翻訳すると、いったいどのような日本語文が作られるのだ ろうか?実にたいへんな難問ではあるまいか。三桁の家屋が浸水し、四桁の怪我人が出た という日本語文を読む日本人はさぞかし筆者を馬鹿にするにちがいあるまい。