「フェーオーセーVOC(終)」(2020年09月20日)

会社は元々アンボン・マルク・バンダの島々を中心ターゲットに置いていた。そこはクロ
ーブとナツメグの産地であり、会社はその商品だけにしか目が行っていなかったというこ
とにちがいない。つまりVOC重役会Heeren XVIIは最初、後にVOCが歩んだ道を想像
もしていなかったということのように思われる。その証拠に、第4代クーン総督がVOC
本部をバタヴィアに移すまで、本部はアンボンに置かれていたのだから。

会社の意向と異なる方向に現場の事業を移して行き、重役会を説き伏せて会社にかれの構
想をサポートさせるようにしたこの人物の才覚は、かれが稀代の傑物だったことを示すも
のである。しかし会社にとってこのような人物はよろこばしいものなのか、それともアブ
ナイものなのか。


バンテンのオランダ商館がジャヤカルタに移されたことは成り行きに押された印象がある
ものの、クーンがジャヤカルタで暴れ始めてその街を奪い取ったとき、かれの頭の中には
アジアにおける一大通商帝国構想が既に形を取り始めていたように思えてならない。通商
帝国の首都はマラッカ海峡〜ジャワ海〜南シナ海が出会う地域にあるのが望ましく、マル
ク地方はその意味であまりにも辺鄙な場所であり、そこを首都にするのではたいへんな効
率低下を引き起こすことが目に見えていた。

クーンは自己の野望を実現させるために、先見性・想像力・鉄の意志・そして何ものにも
臆さない度胸(それは血の雨をも辞さない残虐性を内包している)のすべてを使って、単
身で世の中の逆風に立ち向かって行った。そして数百年間、華々しい賛辞と英雄視がかれ
を包んだ後、最期にかれの野蛮な残虐性がその評価を地面にたたき落とした。人類の時代
は既にパワフルな英雄の居場所がない世界に取って代わられていたのだ。

クーンはバンダのナツメグ生産をコントロールするためにバンダ人と戦争し、奴隷にして
バタヴィアに送ったり、あるいは現地で虐殺を行った。バンダ島の人口は10分の1に減
少した。会社は当然、現場の状況を報告で知ることになる。重役会の中でそれを問題にす
る声が上がったのも、起こるべくして起こったことだ。釈明要請に対してクーンは重役会
に答えた。「もしわたしがあの虐殺を行わなかったら、VOCは存在しなくなるかもしれ
ない。」
クーンは本社内の批判者に対してもこう述べている。「もしあなたの良心が残虐な行為へ
の不平を再度言わせようとするなら、それがオランダの町々を建設するための会社(VO
C)の富を生み出し、またあなたの家や市庁舎の壁に飾られる肖像のための金になってい
るのだということを思い出さなければならない。ナツメグの実がそれらすべての源泉なの
だということを。」


クーンの出身地ホールンHoornは百年以上前にこの国家英雄の銅像をかれの生家の表に建
立した。オランダという国が近代世界の大国になり、国家財政に破綻が起こらないための
基盤を築いた人物がクーンだったという人物評価は第二次大戦後まで続いていた。しかし
バンダにおけるジェノサイドがオランダ国民のあまねく知るところとなり、「殺すな!」
ヒューマニズムが世界中の子供まで知っている常識になった時代にクーンの評価は大転換
してしまったのである。ホールンの町からその銅像が消える日は遠くないだろう。[ 完 ]