「台湾のジャワ煉瓦(3)」(2020年09月23日)

1624年、バタヴィアに拠点を置くVOCは台湾の南西海岸にある大員を占領して基地
を設け、要塞を1627年に完成させた。1634年の完成と書いている記事もある。要
塞はゼーランディアFort Zeelandiaと命名されたが台湾人は熱蘭遮Jeranjaと呼んだ。

大員は北京語でこそDayuanだが、?南語ではTaiuanあるいはTuauanと発音される。オラン
ダ人が文書に書いたTayowanやTayouanという言葉は現地語を聞き取ったものだろう。

この大員が台湾という地名の語源とも言われているものの、地元原住民である平埔Pingpu
族の言う地名を福建人が?南語で大員と表記したという話もあるので、大員という文字が
台湾になったような表現は控えるべきかもしれない。


大員は現在の台南市安平区にあり、ゼーランディア要塞跡は熱蘭遮城遺跡を残す安平古堡
という名の公園地区になっている。遺跡と言っても、VOCが最初に作った要塞は赤レン
ガの城壁だけが残されているにすぎない。

1662年に鄭成功がオランダ人の台湾支配を崩壊させ、オランダ人を追放して漢人の統
治体制に変えた後も、ゼーランディア要塞は王城や台湾城と名を変えて使われ続け、さま
ざまに改築がなされたことから、ゼーランディア要塞が元の姿をとどめることはありえな
かった。

要塞の最初のデザインは言うまでもなくヨーロッパ式のもので、内郭と外郭に分けられ、
内郭は四辺形の三階建ての建物だった。最上階の四隅は堡塁になっていてそれぞれに5門
の大砲が置かれていた。内郭には高官用の居宅、教会、兵舎、牢獄などが設けられた。現
在その建物の最上階には赤いピラミッド型の屋根を持つ展望塔があるが、それは1891
年に建てられたものであり、オランダ時代のものではない。

要塞の外にはパサルが作られた。このゼーランディア要塞からおよそ4キロ離れた内陸部
にもVOCはプロヴィンシアProvintiaまたはプロヴィデンシアProvidentiaと名付けた出
城を設け、その間に道路を建設した。それが台湾で最初に建設された道路だとされている。
プロヴィンシア要塞は現在赤嵌樓Chihkan Towerという名称で呼ばれている。


ゼーランディア要塞の城壁は高さが大人の背丈三人分、幅およそ1メートルで、20メー
トルほどの長さだけが残っていいて、そこには今もVOCのアイコンを見ることができる。
その城壁の赤レンガはジャワで作られたレンガであり、VOCは要塞建設のためにわざわ
ざジャワからそれを台湾まで運んだ。そのレンガを積み重ねるとき、接着させるためにモ
チ米と砂糖そして貝殻の粉を砂に混ぜて使った。

原住民は初めて見た赤色の土で作られた構造物を見て驚き、その土を紅毛土と呼んだそう
だ。紅毛というのは華人が赤い頭髪のヨーロッパ人に与えた呼称であり、紅毛人が持って
来た土製のものというのがその意味だろう。プロヴィンシア要塞も同じ素材と同じ工法で
作られており、現在残されている赤嵌樓は紅毛土の建物のイメージを保っている。
[ 続く ]