「黒いオランダ人(終)」(2020年09月29日)

ダンデルス総督以来、東インドにおけるVOC軍に取って代わった軍事力を植民地軍と呼
んでいるが、正式にオランダ領東インド軍Nederlandsch-Oost-Indische legerという軍隊
になったのはファン・デン・ボシュ総督が1830年12月4日に出した決定書によって
いる。

東インド植民地政庁が持っていた軍事力がディポヌゴロの反乱で辛辣な目に会わされたた
めに、それをもっとモダンで強力な軍隊にしなければならないということに総督が気付い
た結果がその決定書であるにちがいない。

1836年にオランダ国王が東インド植民地軍を正式に認知して、王国の名称を使わせる
ようにした。それ以来オランダ王国東インド軍Koninklijk Nederlands-Indisch Leger 略
称KNILが東インド植民地軍の公式名称になる。


フランス陸軍の中に外人部隊Legion d'Etrangereが創設されたのは1831年のことで、
オランダ領東インド軍発足の翌年に当たる。フランス外人部隊はさまざまな劇映画にも取
り上げられ、また華々しい活躍の物語も種々に語られていて、憧れを抱く若者は世界に数
多い。発足以来、隊員名簿に記録された出身国籍は136カ国に上っている。

部隊本部は1962年までアルジェリアのシディブラベスSidi Bel Abbesにあったが、今
はフランス国内マルセイユに近いオバーニュAubagneに移されている。

入隊希望者はフランスのあちこちにある受付で申し込んでください、と元ジャカルタ駐在
フランス大使館国防アタシェのロシェ大佐は語る。入隊許可のための選考はマルセイユに
近いオバーニュ本部が行い、メディカル検査は軍港ツーロンにある病院で実施される。

選考をパスして隊員候補生となった者は15週間にわたる地獄の訓練を受けることになる。
訓練で脱落したり不適格の判定を与えられなかった者は契約書にサインして、その先5年
間の隊員の履歴を歩むことになる。全員が最初は二等兵から出発する。下士官あるいは士
官への昇進の可能性ももちろんある。

この部隊が創設されて以来、人数で最大を占めた国籍はドイツだ。第二次大戦が終了した
後、問題を抱えたドイツ兵が大勢、入隊して来た。もちろん、それ以外にも問題を抱えた
人間がやって来たケースは星の数ほどあるそうだ。

大勢の元ドイツ兵がインドシナ戦争に従軍し、1954年のベトミンによるディエンビエ
ンフー要塞陥落の現場に立ち会った。フランス軍が降伏を決めた時、フランス外人部隊は
降伏を知らない、と主張して軍司令官に最後の出撃敢行を願い出て、およそ2百人の部隊
員が剣付き銃で突撃して行ったという話が残されている。

アジア出身の隊員も第一次大戦から第二次大戦にかけて増加した。フランス領インドシナ
のラオス・カンボジャ・コーチシナ・アンナンなどの原住民だ。現代においては、アジア
出身者は日本人が最多数を占めているそうだ。インドネシア人はどうなのだろうか?

1990年代にトババタッBatak Toba族の青年が訪ねて来たことがあった、とロシェ大佐
は語った。在パリインドネシア大使館に勤務したジュアンダ海軍中佐はフランス外人部隊
に入りたいインドネシア青年を何人も世話した経験を持っている。中佐の記憶では、昔か
ら現在まで、十数人のインドネシア人が隊員になっているとのことだ。[ 完 ]