「ヌサンタラのドイツ人(3)」(2020年10月03日)

1742年8月12日、バタヴィアに戻ったファルケニールはそのままバタヴィア市庁舎
で牢獄生活に入った。裁判のための取調べが始められたものの、プロセスはだらだらと進
められて何らの結論も出されずに10年が経過し、ファルケニールは1751年6月20
日に囚人として56歳の生涯を閉じた。

ファン・イムホフはヨハネス・テーデンスの後を継いで第27代総督の座に就いた。かれ
の総督在任期間は1743年から1750年までであり、ファルケニールの捕囚期間と並
行している。


ファン・イムホフには色めいたエピソードもある。ボゴールのプンチャッPuncak峠を越え
て南側のチアンジュルCianjur県に下ってしばらく行くと、チボダスCibodas植物園に曲が
る道があり、その少し先にチパナスCipanas宮殿がある。

チパナス宮殿はインドネシア大統領のための7つの宮殿のひとつであり、建物の歴史は古
い。ちなみにインドネシア大統領のための宮殿とは、次の7つを指している。
ジャカルタの国家宮殿  Istana Negara
ジャカルタの独立宮殿  Istana Merdeka
ボゴールのボゴール宮殿  Istana Bogor
チパナスのチパナス宮殿  Istana Cipanas
バリのタンパッシリン宮殿  Istana Tampaksiring
ヨグヤカルタのグドゥンアグン宮殿  Istana Gedung Agung
パプアのグドゥンヌガラ宮殿  Istana Gedung Negara

チボダス植物園はボゴール植物園長だったヨハネス・エリアス・テイスマンJohannes 
Ellias Teijsmanが、他所から持って来た植物をボゴール植物園に植える前にこの地域の
気候に順化させる場所として1852年に設けたものだ。ボゴール植物園がボゴール宮殿
の庭園として作られたのとは異なり、チボダス植物園とチパナス宮殿はそのような関係に
なっていない。

現在チボダス植物園には桜園があり、この熱帯の高原では桜が毎年1〜2月と7〜8月に
開花する。桜園が作られたころには、「わざわざ日本まで花見に行くことはないよ。この
チボダスにおいで」という宣伝がなされていて、わたしも花見に行ったことがある。


チパナス宮殿建物は最初、バタヴィアの貴顕ファン・ヘイオツVan Heotsが海抜1千1百
メートルの高原にヴィラとして1740年に設けたものだった。かれは多分そのグデGede
山麓の地主になっていたのだろう。その土地には三つの天然硫黄温泉があって、それがチ
パナスという地名の由来になった。

1742年8月にファン・イムホフはその地を訪れてたいそう気に入り、既存の母屋に建
て増しするよう命じた。その建設工事のために、中部ジャワのトゥガルTegalやバニュマ
スBanyumasから木工職人が集められて建築が進められた。ファン・イムホフは工事の進捗
状況を見守りながら、高原の温泉に浸かりに来ていたにちがいあるまい。

ファン・イムホフはこのヴィラを建てる一方で1744年にボゴール宮殿も建てているの
だから、同時期にふたつのプロジェクトを並行して進めた観がある。

ファン・イムホフの主侍医は、鉄分と硫黄分を含んでいる原泉の水と牛乳を混ぜて飲むよ
うかれに勧めていたそうだから、かれのチパナス参りは複数のメリットをもたらしていた
にちがいあるまい。[ 続く ]