「ヌサンタラの酒(1)」(2020年10月06日)

南アジアから東南アジアにかけての一帯でアラッと呼ばれるアルコール飲料は、インドネ
シアでarakと書かれるが南アジアではarrackと綴られる。ただしarrackは英語綴りであり、
他のヨーロッパ諸語はむしろインドネシア語綴りの方に近い。昔、スリランカ人からarrack
を頂戴したことがあったが、ココナツから作られた透明な液体はやたら強い酒だった。

アラッという言葉は元々東地中海地方からアフリカ北部のマグレブ地方で習慣的に飲まれ
ていた薬用飲料を指すアラブ語arqから来ているという説もある。これはブドウ果汁を発
酵させて蒸留し、フェンネルを加えたものだ。

「ムスリムがアルコールを・・・?」と不審を抱いた方は、イスラムへの誤解に呑まれて
いるのである。アルクルアンにアルコールはハラムだということは一言も書かれておらず、
正気を失わせる「酔うkhamr」という現象に対してハラムだという定めが与えられている。

つまりそのロジックに従えば、アルコールばかりか、麻薬やトリップに誘う薬物も、快楽
のための性行為も人間を酔わせるものであるからハラムだということになる。性行為は子
孫を作るための行為であり、それに酔って恍惚となることなく正気にして謹直にその運動
に励むべしというのがイスラム的見地からのセックスだろうとわたしは解釈しているのだ
が、それが正しければムスリムのいったいどれほどが正しく宗教行為を行い、どれだけが
背教徒の振舞いをしているのか、わたしは忠実なムスリムですという顔をしているかれら
の偽善ぶりが目に浮かぶ。

だからイスラムにとって「酔う」ことは悪事なのであり、それゆえにその現象を引き起こ
すアルコールはすべてハラムだという考えが広まった。これは女性の身体が男にムラムラ
を引き起こさせるから女性は見知らぬ男に自分の姿を示してはならないという論理にもと
づいて、世間に姿を現わすとき女は黒子にならなければならないというものを社会常識に
してしまったことによく似ている。

アルクルアンにはただアウラッauratと述べられているだけであり、その言葉は他人に見
せてはならない身体部位ということを意味しているだけだ。他人に見せるべきでない身体
部位は隠せという神の命令なのだが、さあこんな具体性のないことを言われると人間たち
の間では喧々諤々、まとまりなどつきはしない。結局女の身体は全部隠してしまえという
ところに行き着いた。アルクルアンは女の身体をすべて覆えなどと一言も述べていないと
いうのに。

人間の狭隘な精神がこれほどまでに社会生活でのライフスタイルを貧困にしてしまった実
例を人類は記憶にとどめておくべきだろう。もちろん人類が発展を望まなくなったときに
は話が別だが。


かつての狭隘な精神が導き出した結論は、より原理に近寄ったものに修正されつつあるよ
うに見える。イスラムがハラムにしているのは人間を酔わせるために作られたアルコール
なのだというのが筋道を通した見解になってきた。

たとえば洋酒からワイン、日本や中国の酒類、バタッBatak族のトゥアッtuakなどは酔い
を目的にして作られているためにハラムと定められている。この物の見方は文化面(つま
りは文化的価値観の差異)に関わっているためにあまり公正中立という気はしないのだが、
当人たちがそうしているのだから仕方がない。

ならば酔わなければハラルじゃないかという反論を出すひとが必ず出て来るだろうが、そ
うはいかない。ムスリムコミュニティ宗教指導部がハラムと決めた物品はハラムなのであ
り、個人の尺度でそれを斟酌することは許されない。[ 続く ]