「米作農民哀歌(終)」(2020年10月30日)

コメの話に戻ろう。たとえば乾燥済みモミ米の生産者売渡価格、つまり農家で乾燥させた
モミ米の基準価格を政府が定めているというのに、西ジャワ・中部ジャワ北岸地方の農民
たちにはそんなことがかれらの生活にまったく影を落としていない。農夫たちはただコメ
仲買人の言う数字にしたがって右往左往しているだけなのだ。

農民がそれを主張すれば実現するのかと言うと、そんな単純なことにはならない。仲買人
はだれひとり買わなくなるだろう。政府が決めた基準価格だから国民はみんなそれを尊重
し従うべきだと考えるような民族性ではないということなのである。政府の意向を現場に
徹底させようとするなら、少なくともある期間、政府は自らがモミ米買上げ機構を設けて
それが習慣化するまで行い続ける必要が生じる。その期間、仲買人も雇われていた人間も、
そしてチャロも収入が枯渇してしまう。失業者の増加というリスクを冒してまで、インド
ネシア政府がはたしてそんなことをするだろうか?

歳月はただ無駄に経過していくものではない。それは習慣や慣習というパワーを生み出す
のだ。星の数ほど改善のアイデアが生まれても、明るくきらめいている星の数くらいしか
実現の道をたどるものはない。残る大勢の弱小の星たちは、習慣や慣習というパワーに阻
まれて、かすんだ星としての道を歩むしかないのである。

行政は現場の実態を知っている。農民への同情心や正義感などから道義を正そうとする行
政官僚がこれまでいなかったわけでもない。しかし時間の経過が生み出す保守パワーはど
んどん強まって行く。「ずっと昔から今まで、それで済んで来たんだ」がたいていの捨て
台詞になったにちがいあるまい。


インドラマユの農家の主婦ダリニさん43歳は語る。
「わたしは正直言って、政府が乾燥モミ米の基準価格を決めているなんて、これまでちっ
とも知りませんでした。ここの地元行政だって、それを農家に指導しようともせず、それ
どころかコメの実勢市場価格がどうなっているかといったことさえ、何も知らせようとし
ません。
わたしは先週、特級米の未乾燥モミ米16トンをキロ当たり1,500ルピアで売ろうと
したんです。ところが仲買人のだれひとりとして買いません。かれらはキロ1,200ル
ピアを固執しました。タワルムナワルtawar-menawarを続けたあげく、わたしは1,35
0ルピアまで落としたんです。それでもかれらは首を横に振り続けました。結局、1,3
00ルピアでしか売れなかったんですよ。」


農民が生産者としての力を振るえないのは、組織化されていないからだ。概して世慣れて
いないひとびとが一般的である農民が個別に仲買人やチャロと相対すれば、交渉事は不利
になる。なにしろチピナン米中央市場でのコメ相場すら、仲買人の言うままを信じざるを
得ないのだから。

農業団体や農民組織がないということでは決してない。ただ一般論として言えるのは、そ
れらの団体組織が起こす運動が農業一般のメリットをマクロ的に掲げるがために、個別セ
クターの利益向上にあまり本腰が入らないということだろう。生産品目によって直面して
いる状況が異なっているため、個別セクターが抱えている問題をそのセクターが解決する
動きにならなければならない。米作り農家の組織作りが行われているような話はまず耳に
したことがない。

政府からのテコ入れをそこに求めようとしても、支出予算の小さくなる外国米輸入を政府
自身が志向する傾向にあるのだから、話はうまく進んで行かないのである。[ 完 ]