「nggak, ngak, gak, ndak ...」(2020年11月06日)

ライター: サンタマリア・アッマジャヤ教官、クンジャナ・ラハルディ
ソース: 2008年6月9日付けビスニスインドネシア紙 "Minyak telon Nyonya 
Meneer nggak salah"

われわれは日常生活で否定辞nggakによくお目にかかる。nggak salah, nggak bener, 
nggak pas, nggak matchingなどだ。nggakはしばしば短縮されてngakとなる。ngak salah, 
ngak pasのように。また一部のひとは音変化を起こしてndakになることもある。ndak 
bener, ndak matchingがそれだ。イディオレクトで非鼻音になるとgakが使われて、gak 
bener, gak matching, gak salahなどにもなる。

口語という枠の中では、それらのバリエーションはいずれも普通に受け入れられており、
正誤を論じて目くじらを立てるひとはいない。妥当な言語センスの持ち主なら、それらは
否定辞だということをすぐに理解するだろう。

口語は文語よりもはるかに豊かなものだ。口語に出現する諸形態もコード化されて文語の
中に取り込まれているから、口語だ文語だと境界線を引くこともあまり意味がない。両者
は親密な関係にあり、親族のようなものなのだ。ただハビタットが違っているのである。


言語学的には、否定辞が二種類ある。体言を否定するものと用言を否定するものだ。用言
には動詞と形容詞が含まれている。bukan bukuやbukan uangは名詞を否定する用法であり、
またbukannya uangやbukannya bukuも相関的な文脈で使われる。bukanが相関的な使われ
方をする場合、往々にしてmelainkanとの組み合わせが起こる。

tidakは体言に使われないので、tidak bukuもなく、tidaknya uangもない。tidakは動詞
や形容詞を否定するために使われるから、tidak membeli,tidak menjual, tidak menawar, 
tidak berartiなどが普通の用法になる。bukan membeli, bukan menawarなどは文語の中
では認められない。

tidakが相関的な文脈で使われるときは、tetapiとの組み合わせになり、melainkanは出現
しない。しかし世間一般ではbukan buku tetapiやtidak pas melainkanなどの混乱形が頻
繁に登場している。それらのtetapiやmelainkanがnamunに取り換えらると、もっとおかし
なことになる。bukan uang namunやtidak membeli namunなどの表現はまったく間違って
いるのだ。

namunというのは接続詞なのだから、文と文をつなぐ働きをする。この機能によく似てい
るのがakan tetapiだとしても、bukan uang namunやtidak membeli namunという用法は誤
りなのである。


KBBI第三版(2005年)にnggak, ngak, gak ndakという四種類の否定辞は見当た
らない。世の中で盛んに使われているそれらが、採録から洩れているようだ。つまり基準
がないのだから、間違っているのどうのという話はありえないのである。だからテレビ広
告のMinyak telon Nyonya Meneer nggak sala! というキャッチコピーはJadi ya gak pa 
pa! Memang ngak ada yang salah!ということなのだ。