「食の多様性の誇りと現実(6)」(2020年11月23日)

元々パプアではサゴが主食になっていたが、オルバ政権が米食を勧めたために住民はサゴ
を捨てて米に走り、他州からもたらされる米に頼ることになって流通が順調になされない
と餓死者が出ることすら起こった。

但し、伝統的な話をするなら、サゴはジャヤプラJayapura、ビアッBiak、ソロンSorong、
マノクワリManokwari、ミミカMimikaなどの海岸部で主食のメインにされていて、祖先が
与えてくれた食べ物という認識のもとに、サゴの木を切り倒すプロセスの開始前には祖先
への尊崇報恩のために呪術的儀式を必須と考えている種族もあった。内陸部の山岳地帯は
むしろサツマイモが主食とされていて、中傾向はまた大傾向と異なる趣を示している。

パプアのコメの歴史についても、オルバ政権のずっと以前からパプアの民衆の中にコメを
知っている者は少なからずいた。1963年以降、ヌサンタラの各地からパプアに移住す
る者が出現したのである。パプアの発展に貢献しようとする民間人や、国土防衛のための
国軍兵士たち、あるいは行政官僚や公務員たちだ。かれらは自分の生活のためにコメを持
ち込んだ。地元民がそのコメに一切接触しなかったなどということはありえない。

メラウケMeraukeではまた事情が違っていた。メラウケには19世紀からキリスト教伝道
者が住み着き、ジャワなどからやってきた教会関係者らが地元民に稲の栽培を教えて米を
作らせていたのである。メラウケでの稲栽培はその後途切れることなく現在にまで続いて
いる。


パプア州だけでもサゴの樹種はおよそ2百種あり、赤・茶・黄・白・灰色・黒などの粉末
が取れる。パプアでサゴ林は海岸から湿地帯、そして山岳地帯にまで広範にわたっており、
その中におよそ2百ほどのサゴ樹種が散らばっているそうだ。

地元民は伝統的な方法で食用のサゴを作ってきた。食用にできる木は高さが10〜15メ
ートルで太さ直径60〜70センチに達したもの、あるいは6〜7歳を経過したもので花
や白い葉が出るようになったものが選ばれる。花や白い葉は幹のでんぷん質が十分に蓄え
られたことを示すサインなのだ。

木を切る前に周辺の状態をきれいにし、また木の外皮も適宜整えて、木が倒れたときに幹
にダメージがなるべく起こらないようにする。木の切断位置は根にもっとも近い場所で、
斧や鉈あるいはナイフなどを使って切断する。倒れた木からヤシの葉をすべて落とし、長
さ6〜15メートルくらいの幹だけを残す。

木の皮をすべてはぎ、幹の中身を二分割してempurungと呼ばれる状態にする。ンプルンは
端からナニnaniと呼ばれる、餅つきの杵のような道具で割り砕いて行く。そのとき、ンプ
ルンが乾燥しないように留意しなければならない。破砕されたンプルンはエラelaと呼ば
れる。このエラを集めてきれいにしたあと、上から清水を注ぐ。すると食用になるサゴの
でんぷん部分が水と一緒に流出して来る。このサゴを含んだ水を容器に溜め、水とサゴを
濾して分離させる作業がそれから始まる。水を除去して濡れたサゴだけになると、サゴの
木の皮で作った容器にそれを入れて保管する。この容器はトゥマンtumangあるいはタッピ
リtappiriと呼ばれ、自家消費用保管や市に持って行って販売する状態がこうしてできあ
がるのである。

他地方でも、たとえばリアウ州にサゴ生産があり、1万ヘクタール近いサゴ林で数十万ト
ンの生産が行われている。同州ではsagu duri, sagu bomban, sagu sangkeの三種類の樹
種がもっぱらで、サグドゥリのシェアが最大になっている。


南カリマンタン州バンジャル県スガイタブッ郡プマクアン村一帯は州内最大のサゴ生産セ
ンターだ。都会から隔絶したこの村はマルタプラ川沿いにあって、この村がサゴ生産の工
業化を開始してうまく行ったために、周辺の村々もサゴ生産を行うようになった。生産セ
ンターと言っても工業団地のような工場などひとつもなく、カリマンタンによくある、村
の製材所的雰囲気の作業場ばかりだ。

この村は昔から何代にもわたって、ルンビアで生きて来た自立した村だ。ルンビアの幹の
頂点の柔らかい部分は食材になる。幹の中身はサゴ粉になる。幹の外皮は煉瓦を焼く燃料
になる。葉は屋根を葺くのに使われる。自家消費しなければ、すべてが換金できる商品に
なるのだ。[ 続く ]