「植民地軍解散(1)」(2020年12月01日)

KNIL(Koninklijk Nederlandsh-Indisch Leger = オランダ王国蘭領東インド軍)の
発足は1830年だ。この軍隊は1950年7月26日に解散するまで、120年間ヌサ
ンタラの土地に生き続け、オランダ植民地支配の先鋒となった。

インドネシアのオランダ植民地史3百年というキャッチフレーズを信じているひとには信
じられない話だろうが、3百年間のオランダ植民地というセリフはインドネシア人がその
被害者姿に悲惨さを塗りたくって加害者を非難するために作った誇辞である。VOCのク
ーンが始めたプリブミに対する抑圧と支配の被害者という文脈で読む限り、被害者の感情
面においては事実だろうが、レトリックとしては不正確の批判を免れない。事実、オラン
ダ人知識層はそれを史的事実に対する不正確な表現としている。


VOCは会社内の下部組織に軍事力を持った。社内現地出先機関の経営最高責任者の命令
で動く実力行使部門であり、この軍隊は会社経営のために使われるコマのひとつでしかな
く、組織運営を行う経営陣から見れば下っ端にすぎなかった。この軍隊を構成したのはた
くさんの傭兵だった。日本人傭兵はたいへん価値ある兵力になったようだ。しかしVOC
の軍隊には傭兵という言葉がそぐわない。

徴募兵がいるから傭兵という言葉が独自の意味を持つのであって、会社が持つ兵隊に徴募
兵などあり得るはずもなく、すべてが給料でその仕事をする社員ばかりなのだから、一般
的語感としての傭兵という言葉が的外れであることは明白だろう。かれらのすべては給料
のために働く社員軍人兵士なのであり、傭兵という言葉はその意味で解釈されなければな
らない。結局のところ、そこに出現する差異は本社雇用のヨーロッパ人軍事社員と出先機
関が雇用したアジア現地人軍事社員というカテゴリー区分にしかならないはずだ。

VOCは倒産するまで、商業帝国としてアジアの各地を支配した。オランダの領土を広げ
るという観念を持たなかったのだから、土地と住民の支配は商業帝国としての必要性を満
たす範囲に限られていた。その意味から、VOC時代に行われたのは商業主義であって植
民地主義や帝国主義ではなかったという見方のほうが実態に即しているように思われる。
これは植民地主義的あるいは帝国主義的な行為行動が行われなかったということを言って
いるのではない。


VOCの倒産にナポレオン時代がオーバーラップして、ダンデルスがフランスのためにジ
ャワ島防衛軍を設けた。そのフランスのためのジャワ島防衛軍を粉砕したイギリス東イン
ド会社が1816年8月15日までジャワ島を掌握して独自の経営を行った。そのイギリ
ス時代にジャワ島の防衛に当たっていたのは、ダンデルスのジャワ島防衛軍から横滑りし
た者たちを大勢含んでいたとはいえイギリス東インド会社の軍隊なのである。オランダの
軍隊など作られるわけがない。

ナポレオン時代が終焉してイギリスは東インドの経営権を新興のオランダ王国に移管し、
オランダ王国が東インドを植民地として国家経営に含める方針を定め、ファン・デル・カ
ペレンとデュ・ビュス・ドゥ・ジジニーのふたりの総督が任期を終えた後にやってきたの
がファン・デン・ボシュだった。1830年1月から33年まで任期を務めたファン・デ
ン・ボシュ総督は強制栽培制度をはじめとするさまざまな改革を行ったが、その中に植民
地軍抜本改革も含まれていた。

かれが1830年に出した総督一般指令は東インド植民地軍を8兵団で構成し、各兵団は
歩兵1個大隊、騎兵1個中隊、山砲兵4個中隊の編成とされた。そのときの総兵員数は下
士官兵が1万3千人で、士官が640人だった。士官の中のプリブミは5%だったが、下
士官兵はプリブミが60%を占めていた。[ 続く ]