「オランダ人引揚者の苦難(1)」(2020年12月09日)

インドネシア人がインドIndoと言うとき、その言葉は一般にオランダ語のIndo-europeaan
を意味していると解釈するのが普通だ。英語のEurasianの意味である。この意味のIndoは
標準インドネシア語として認められていないため、標準外としての外来語という位置付け
になる。

Indo-というのは「インドIndiaに関連する」という意味を持つ連結形であって、元来独立
した単語ではないものだが、省略あるいは短縮がなされて独立語として扱われるようにな
った。

スドノ・サリムグループがインドモビルやインドミーなどのさまざまな会社名とブランド
名にIndo-を冠して使ったものはすべて連結形と判断でき、独立語としては使われていな
いように見える。ただしサリムグループが使ったIndo-はIndiaでなくIndonesiaの意味で
使われているから、はなはだ複雑な構図であると言えよう。

Indoを独立語としてIndonesiaの省略形に使っているインドネシアのネティズンがいるの
だが、もう十年くらいは経過しているように思えるこの現象はなかなか拡散して行かない
ようだ。やはり植民地時代から使われて来た欧亜混血者の意味が圧倒的に強力で、国民社
会はなかなかそれを同じゴンドラに乗せようとしないのだろう。


ところがオランダ人がインドネシアに関連して使う場合、Nederlandsch Oost Indieの人
間という意味ではIndischという言葉が使われるのが普通であり、インドネシア人はそれ
をIndiesという形にして使うようになったようだ。前者は形容詞、後者は地名としての名
詞であり、sを付けたからと言って同じ意味になるわけでもないだろうに、そんな結果に
なっている。だからオランダにいるインドネシア人在留者の間では、Indo, Indisch, 
Indiesが同義語として混在している。

Indoは元々混血者を指していたのであって、東インドの人間を指すIndischやIndiesとは
意味が違っていたというのに、同義語関係に置かれたことからIndoの意味が大きく膨れ上
がった。

オランダ本国人から見れば、蘭領東インドに由来している人間はすべてIndischと呼ぶこ
とができる。プリブミ原住民、オランダとプリブミの混血者、混血者と純血者あるいは混
血者同士から生まれた子供、果ては純血者の両親を持つ東インド生まれの子供に至るまで、
東インドに関わっていればすべてインディシュだという理屈になる。このコンセプトが人
間の属性に関わる差別を育んできたことは言うまでもあるまい。

ともあれ、そんな多種にわたるインディシュの同義語にされたIndoがオランダ在住のイン
ドネシア系のひとの口から出されるとき、その実体はわけのわからないものになってしま
う。KNIL(オランダ領東インド植民地軍)兵士だった純血プリブミから、両親が純血
オランダ人なのに東インドで生まれたというだけの純血オランダ人まで、その間のどれを
指しているのかよく分からない言葉になっているのである。ただ少なくとも、インドネシ
アに関りを持つ人間という意味であることだけは分かる。


インドネシア共和国独立後もインドネシアで暮らしていたIndoたち(インディシュの同義
語として使っている)の中に、1949年のハーグ円卓会議でインドネシアの完全主権承
認がなされたことで、インドネシアにいられなくなったひとびとが出て来た。行政官吏や
KNILに関わっていた純血プリブミから純血オランダ人に至るひとびとがそのメインだ
ったようだ。それに追い打ちをかけて1950年代後半にオランダ資産のインドネシア国
有化が進展し、政府系から民間まですべてのオランダ資本がインドネシア政府の所有に転
換されたことで、さらに多数のIndoたちがインドネシアでの生活基盤を失い、インドネシ
アを去ることを余儀なくされた。[ 続く ]