「シンコン民族、テンペ民族(2)」(2020年12月15日)

大統領宮殿ではまた、茹でシンコンがコーヒーのおつまみによく出された。1965年1
月のある日、駐キューバインドネシア大使のハナフィ氏が大統領に会うために宮殿を訪れ
た。大統領はそのとき、陸軍大臣司令官アッマディ・ヤニAchmad Yani中将と談笑中だっ
た。大使はそこに加わった。

しばらくすると、使用人がコーヒー三つと茹でシンコンが山になっている皿を持ってきて
テーブルに置いた。大使はシンコンの皿を取って中将に勧めた。
「パッ・ヤニ、どうぞ。マルハエンMarhaenのシンコンですぞ。マルハエンの民が植えた
マルハエンのための食べ物です。今やマルハエンの宮殿にまでお目見えしている。さあ、
どうぞ。」

すると中将はその皿からひとつをつまむそぶりも見せず、大使の持っている皿ごと受け取
ってそれを大統領に向けた。
「まずはマルハエンのバパからどうぞ。」

大統領は笑ってひとつをつまみあげ、中将に向かって言った。
「マルハエン軍司令官殿もひとつどうぞ。」
とっさに、少し離れた場所で控えていた衛兵や使用人たちの間で笑い声がはじけた。


1986年にディクソンが行った調査では、インドネシア人の平均寿命の最も長いのはヨ
グヤカルタ特別州グヌンキドゥル県であり、住民の多くがシンコンで作ったティウルを常
食にしていることに関係があるというコメントが残されている。また国民保健データから
は、住民の中の貧血症患者が最も少ないのもグヌンキドゥル県で、反対にもっとも多いの
が全国最大の米どころとされているインドラマユ県だというものもある。

西ジャワ州チマヒCimahi市のチルンドゥCireundeu部落はチマヒ工業団地からあまり離れ
ていない。この部落の住民の主流は古くからの伝統と慣習を守り続けて暮らしており、伝
統部落Kampung Adatの名前が冠されている。かれらが守っている慣習のひとつにラシrasi
がある。

rasiとはberas singkongの短縮語で、シンコンが米に似せて粒状のものになっており、米
のように調理して食べることができる。諸メーカーが商品化して、beras singkongやsego 
singkongという名で販売されているから、一般家庭でも簡単に楽しめる。

チルンドゥ村はもちろんそのような商業化とは無関係に、1924年以来ラシを自家製造
してコメの飯を混ぜることなく主食にしてきた。コメの飯を混ぜればオイェッ飯やティウ
ル飯になるが、チルンドゥ部落ではコメの飯を混ぜない。そこには主義主張が関わってい
た。


1924年に部落民はコメを絶った。コメは植民地政庁が政治ツールにしている。この部
落の土地は丘陵地であり、水稲耕作に適さないため田がない。コメを主食にする限り、植
民地支配者に首根っこを押さえられているのも同然だ。

コメを絶つことが植民地支配者への抵抗にされた。植民地支配のシンボルにされたコメは
捨てて、地元でいくらでも採れるシンコンに変えよう。反植民地主義の意志が入った主義
主張が、ラシをかれらの主食にしたのである。

その主義を書き残したものが、村の集会所にかかっている。曰く、田はなくとも稲がある。
稲はなくとも米がある。米はなくとも炊けばいい。炊かなくとも食えばいい。食わずとも
強ければいい。[ 続く ]