「シンコン民族、テンペ民族(終)」(2020年12月16日)

コメをやめたとき、部落民は最初、自給できる主食を何にしようかと6年間試行錯誤を続
けたそうだ。サツマイモや豆類などがいろいろ試され、最後に生産に適し、また主食とし
てみんなが受け入れることのできるシンコンが選ばれたのである。今では、かれらは25
ヘクタールの土地でシンコンを栽培している。

だから西ジャワの伝統部落として代表的な南バンテンのバドゥイBaduiやスカブミのチプ
タグラルCiptagelarなどとは、あり方が異なっている。伝統部落はみな、スンダ地方の伝
統信仰であるスンダウィウィタンSunda Wiwitanを守っているが、主食も古来からの伝統
食品である米を用いているというのに、チルンドゥだけは主食を政治的理由で変更してし
まった。

しかし時代は変化した。1,022人のチルンドゥ部落人口の中で、外来者が混じるよう
になって伝統慣習に従わない住民が増加している。チルンドゥでは、スンダウィウィタン
信仰とラシ食が結びついている。ところが、部落外の人間が婚姻で部落内に入って来ると、
部落の伝統慣習に従わない者が出て来た。部落のムスリム家庭のひとつネニさん42歳の
お宅では、コメの飯とラシが適宜交替で炊かれている。
「うちの祖母はチルンドゥから2キロほど離れたバトゥジャジャルの出身でムスリムでし
た。祖父はチルンドゥの出身でスンダウィウィタンを信仰していたのに、結婚のためにイ
スラムに入りました。それ以来、コメとラシを日によって変える習慣が始まったんです。」

伝統部落の名前を冠しているとはいえ、部落のたたずまいは普通の村落と何も違わない。
現代風の家屋が立ち並び、ありきたりの農村としての暮らしが営まれている。ただしコメ
に頼らない食糧自給を実現させたことで、この部落の名声はいまや国内で確固としたもの
になっている。

食糧多様化という政府の掛け声にとっては優等生になるわけだが、コメ離れは多様化とま
ったく関係のない次元で行われた。部落民に多様化の優等生だと賞賛の言葉を与えても、
部落民にとっては何の話なのか要領を得ないことになりかねない。


中部マルクMaluku Tengahでは米とサゴが主食になっているが、ケイ諸島Kepulauan Keiで
はエンバルenbal、すなわちシンコンが主食だ。バンダ諸島北東部にあるこの地では、乾
燥したサンゴ質の土壌のためにシンコンだけが成育に適している。この地方にシンコン栽
培を奨励したのは、ケイブサールKei Besar島のフェールFer王であるハジ・アリ・ラハヤ
アンHaji Ali Rahayaanだった。1912年にバリ島を訪れた王は、シンコンを持ち帰っ
て住民に栽培を勧めた。エンバルとはバリの芋を意味している。ケイ諸島の各地で瞬く間
にシンコンが作られるようになった。

1931年に住民のひとりがマナドから別種のシンコンManihot esculenta Crantzを持ち
帰った。バリ島由来のシンコンManihot utilissimaと違って、新たにやってきたシンコン
はシアンの含有度が高く、そのまま茹でたり揚げたりしただけでは人体にきわめて有害な
ものだ。シンコンはどの種も多かれ少なかれシアンを含有しているが、マナド由来のシン
コンは100ppmを超えており、苦味シンコンsingkong pahitと呼ばれている。バリ由
来のシンコンの方は50ppmを下回っているため、そのまま調理しても人体に影響はな
い。

住民はバリ由来のものとマナド由来のものが容易に区別できなかったために、たくさんの
犠牲者を出した。その問題が克服されたのは1970年代になってからである。ひとびと
はシンコンの皮をむいてきれいに洗い、すりおろしてから布に包んで中身を搾り、水分を
捨てて残った実をほぐし、乾燥させる。天日乾燥だと三日かかるが、オーブンを使えば一
日で終わる。そのプロセスを経ることでシアンが洗い流されるのである。

乾燥したものはポルナと呼ばれる型に入れて焼き、板状のエンバルができあがる。その板
状エンバルをコメの飯の代わりにして、ケイ諸島住民は魚や他の海産物と野菜で料理した
おかずと一緒に食べている。主食としてばかりか、チョコレート・ピーナツソース・チー
ズクリームなどをかぶせて間食にすら使われているのである。[ 完 ]